ネコミミにひかりあれ

エッセイを書いています。

わたしが欲しいものは「手に入らないもの」

Macbook Air(M2)の再整備品を買い逃してしまった。
再整備品とは、Appleが公式で出している中古品のことなんだけど、定価で買うよりもすこし安くてお得なのだ。それを、買い逃してしまった。買おうと思った日に買えず、明日こそ、と思ったその日も先送りにし…と繰り返していた私が全面的に悪い。
ふと見つけて「絶対欲しい」と思ってから1ヶ月以上は経っているから、仕方ないとはいえやはりショックだった。

私をよく知る人なら、こう思うかもしれない。「こいつまた買い逃してるよ」と。

中古ばかり追いかけているから、イコール一点モノが多いというのはあるけれど、それにしたって異常な頻度で買い逃している。
鞄もそうだし、服もカートに入れたり「いいね!」「お気に入り」登録をしては先に決意を固めた誰かが決済してしまう、というのを何回も何回も繰り返してきた。その結果が先日の再整備品買い逃し事件である。

穂村弘のエッセイをふと思い出す。

「幻想を買う」と題された文章では衝動買いについて書かれていたけど、私はその中で引用された安野モヨコの「ハッピー・マニア」に強く惹かれた。「本当の恋人」=「あたしみたいな女の子スキになんかならないカッコイイ男の子」。
ものを欲するというのは追いかける恋のようなところがある。

わたしが欲しているのは「手に入らない」ものなのかもしれない。
人によっては片思いこそが楽しい、というのをどこかで読んだことがある。「あの人と付き合えたら楽しいだろうな」という片思いと同じように「これを手に入れたらこういうことをしよう」と夢想しているのが楽しいのだ。
手に入ってからは、それが生活の中に溶け込んで「風景の一部」になってしまう。魔法が解けたみたいにどんどん「憧れ」が「当たり前」になってしまうのだ。
あんなに恋焦がれたCelineのカバだって、今はフックに引っ掛けてあって部屋の一部になっている。絶対に欲しくてずっと頭を離れなかったYSLのリップ(407番だっけ)なんて、唇が荒れるというので早々に手放してしまった。

Macbook Air(M2)だって、今は憧れが募っているから「スプレッドシートをうまく使おう」とか「きちんと文章を書こう」と思っているけど、手に入れたら使いこなさないといけない。
「あたしみたいな女に使いこなせないカッコイイガジェット」や「着こなせない服」が欲しいのかもしれない。だからずっと何らかの理由をつけて、購入を回避しているのかもしれない。

でも、と思う。次こそは、と思い直す。
私がやりたいのは、片思いではない。夢想し続けることでもない。
生活をちょっと豊かにして、いい文章を書いて、カッコイイ服を着こなす生活なのだ。
次こそは購入報告を書くだろう。きっと、新しいMacbook Airから。