ネコミミにひかりあれ

エッセイを書いています。

「自分にやさしく」って簡単にいうけども

昨日、家族がつけていたテレビから「自分を愛そう。友達にするように自分も愛してあげよう」みたいなメッセージが流れてきた。ACか何かかな、と思ったらそれは意外や意外、マウントレーニアのCMなのだった。

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自分を愛すことがどうカフェオレの販促につながるのか私にはわからないけど、このメッセージは繰り返し受け取りたいな、いいCMだな、と思った。

というのも、最近は自分の仕事の出来なさに起因して、調子を崩しているからだ。
仕事ができる/できないというのは環境の影響がかなり大きいと思っているので、私という個人が特別仕事ができたり、特別仕事ができないというのはあまり発生しないと思っている。2社目の頃「仕事ができない」と断じられても、3社目の頃「一人分以上の仕事をしている」とコメントされたことがあったからだ。
といっても現職では私は「仕事ができない」側に属していて、ミスもやり残したことも多くて仕事についていけてない、と感じている*1
この「感じ方」が問題で、ミスをする→適切に振り返れない→自分を責める方向に向いてしまう→周囲も自分を責めている→またミスをする→…みたいな、謎の無限ループにはまりこんでいる。

現職については皆いい人たちで、こんなことを書くのも申し訳ないぐらいだ。
でも今は人の目が怖くて、会社に行くのはちょっと怖い。
それは全て私の心が作り出した化け物で、本当に叱責されているかどうか?というのはわからないから気にしない方がいいのに、どうしたって気にしてしまう。そんなことを考えて追い詰められているので脳のリソースが足りず、いつもミスをしたりしている。

ということで、カウンセリングや漢方のお世話になってはいるものの、結局のところ「いやな気分よ、さようなら」でも読んだように「自分で自分を褒める、認める」ということが出来ないことにはあまり根本的に解決しないように思う。
「友達にするように自分を愛してあげよう」は、「いやな気分よ、さようなら」でも出てくる。VIPという表現だけど、どうして自分にはそうしないのだろう、と書かれている。どうしてだろう。私にもわからないけど、それを…どうにかすることが必要なのだと思う。
だから小さな習慣を積み重ねることが大事というのはわかっているけど、それを破った時に自分の中に巣食う自分のアンチ(私は不安になると自分を責める癖があるのではないか、とカウンセリングで指摘されたが、おそらく合っている)がめちゃくちゃに責め立ててくるのがわかっている。

なんだろうな、ずっと生きてきたのに、資本主義的な、なんかお手軽にものを買う感じの「セルフラブ」みたいなことじゃなくて。
もっと根本的に自分を認めてあげる練習が必要みたいで、これは別に家庭環境が悪かったとかじゃなくて、心の動きの問題だと思っていて、だから、ずっともがいている感じがする。

「生きやすさ」みたいなことについては何冊か読んだ気がするけど、この本で十分な気がする。コンパクト版(大嘘)という感じはするけど。分厚いので。

今週のお題「練習していること」

*1:実際仕事ができないので仕方ない感じはある