ネコミミにひかりあれ

日記を書くことがあります

ラジオのように書き出してもよい:アマトリチャーナをつくる / 水星の魔女/ 雨の平日休み

本当にほぼ週報のようになってるなあ。
いきなりすっごい寒くなった今日、わたしのブログを読んでいる方々はどんな過ごし方をしたんだろう。
わたしがブログを読んでいる人たちもどんな過ごし方したのか気になるので、あとで読みに行きます。
そうやって過ごし方を誰に言うでもなく、「みる」「みられる」っていう交わり方だったのって静かでよかったかもしれない。

恋人の家にあたらしいmoogが届いていて、わたしは楽器や音楽については本当に門外漢なので何もわからないのだけど、カタログがかわいかった。
額装して置いておきたいぐらい。小粋っていうんですか。かわいい。

中身はもっとかわいいんだよね。

それで先週末はアンチョビのにおいがちょっと苦手になってしまった恋人と、なんとなくパスタを食べたりチーズを食べながらワインを飲みたいわたしのために、
アマトリチャーナを作って食べてみた。ナチュラルローソンに売ってたちょっといいベーコンで作ったので想像以上に美味しくて、アンチョビじゃなくていいなあと思って平らげてしまった。
私はこれ家だったら粉チーズ目一杯かけるけど、恋人の手前そんなことはしない。

コンビニに売っているミモレットパルミジャーノの板?チップ?みたいなのが割とお気に入りです。あると嬉しくて買っちゃう。

ぼんやりしてたら「機動戦士ガンダム 水星の魔女」が始まっていたらしくTwitterのタイムラインがその話題で一瞬埋まった。

www.youtube.com
すさまじい。フォローしている2、3名ぐらいはリアルタイムで見てたんじゃないか。もっとかもしれない。
そして私は(うわ〜〜〜今日からか録画してないぞ、、、)と思ったんだけど、ずっと無駄に金を払っているDisney+で配信していて事なきを得たのでした。危なかった。
というかガンダム見ていると思ったら少女革命ウテナ見せられたんだけど何事だったんだろう。
インターネットで盛り上がってた?っぽい百合とかポリコレみたいな話はよくわからなくて、とにかく面白くてよかった。

最近は自分のオタクとしてのルーツ?出自?芽生え?が腐女子だったこともあって、二次創作をやらないオタク、アウトプットをしないオタクは存在価値がないと自分で自分を追い詰めていて、
なのでなんとなくそういうのを喚起させられそうなコンテンツには近づかないようにしていた。アニメとかゲームとか漫画とか、全部。
もうそういうのにハマる熱量もないしな、と思ってたんだけど、普通に作品を享受してもいいんだなと思った。作品の面白さを受け止めて感動するというか、解釈しないというか。
そこまで真面目じゃなくても、なんとなく受け取っていいんだと思い直した。

大昔、鴻上尚史が…たぶん…演劇はストーリーの真ん中、芯、テーマと直接握手ができるメディアだ、みたいなことを言ってた…言ってたような気がする。
本質といきなり握手ができる、みたいな言い方だったと思う。
私はそういうのでいいのかな。YOASOBIの主題歌も買いました。

そういえば明日はお休みをとっている。朝から用事があるんだけど、それが終わったらずっと行ってみたかったお店でランチを食べるつもり。
三連休前の金曜日だもんね。と思ったんだけど雨なんだよな〜。どうしよう。でも明日を逃したらなんか行かないままになりそうな気もする。
行って美味しかったらたぶん書くでしょう。書かないと残らない、思い出せなくなっていくし。

なんか明日か明後日ぐらいに通販で買ったものが届くっぽいんだよなあ。明日きてほしい。

ラジオのように書き出してもよい:金木犀/衝動買い/秋冬お買い物計画

なんか毎週木曜日がこのタイトルの日になったなあと思う。まだ4回目?とかだけど、そういうふうにラジオです!って意識で続けてるの面白いかもしれない。
そしてこんなことを書いていたら、家のバルミューダの音が鳴らなくなってしまった。

風に金木犀が混じる

今朝、家のなかにふわっと金木犀の匂いがした。いつの間にか秋になっていたらしい。
いや、じわじわと季節の移り変わりを感じてはいたのだ。
部屋に差し込む自然光はどんどんやわらかくなってきたし、そもそも日中に自室にいられるぐらいの室温になっているし。
(夏場の自室はサンルームになるぐらい日当たりがいいので、とてもリモートワークなんてしていられない…という感じだった。していたけど…。)

今年は、というか「今年も」毎日出歩くことがない秋になっている。
何年か前なら通勤の道すがらで金木犀を見つけたのに、今年は家の中で出会ってしまった。
「小さい秋見つけた」ってやつかな〜。そういうもんでもない気がするけど。

衝動買い

衝動買いができない、と一個前の記事に書いたのに、してしまった。
1万円ちょい。
1番お金が貯まらない人は5,000円〜1万円ぐらいの衝動買いが多いとどこかで見聞きしたことがある。私じゃん。
何度も迷って、えい!とポチってしまった。
ポチるとGmailにすぐ「注文確認メール」が届くんだけど、それ見た瞬間凄まじく後悔しました。クレカの情報入力してる時は平常心だったのにね。
あっちの色買えばよかった、そもそも買ってよかったのか?これは…。
早く届かないかな。
もっと後悔するか、それとも嬉しいと思うか、どっちなんだろう。
ちなみに週末はきっと覚悟を決めて大きい買い物を…するかなあ。

ここでCMです

株式会社オズビジョンのオウンドメディアOZ MEDIAで自分の買い物などなどを懺悔して振り返る「レビュー懺悔」という連載をやっているんです。

www.oz-vision.co.jp

最新回はベイスターズのグッズについて書いており…。
今日勝って嬉しいので宣伝させてください。よろしくね。

秋冬お買い物計画


計画というほどのことじゃないんだけど、欲しいものをなんとなく列挙するのが好きだ。もうこれも不毛な恋という感じなんだけど。
欲しいものはすぐに買ったほうがいい。予算が許すなら。
そう思っているのにいつも一歩が踏み出せない。

でも、今年の冬は何を買おうかなってずっと思っている。
ショートブーツは欲しいなあ。アウターは買い替えなくてもいいから、大物がないのは気が楽でいい。
あとはスノボに行く時用のあたたかいスニーカー?ブーツ?みたいなのがあるといいな。雪道でも滑らないやつ…。
もうみんな秋冬の洋服とか買いまくってるんだろうな。
あるブランドの狂乱の様子を見ているけど、それを見るだけでお腹いっぱいになってしまうのは、たぶん「人が熱狂しているのを見るとちょっと冷めてしまう」からなんだろうなあ。
損だな〜って思うけどしょうがないかな。昔の服を買い集めて楽しむことにします。しょうがないので…。

ときめきの賞味期限

ものをすぐに買えないタイプだ。
衝動買いというのがあまりできなくて、ああでもないこうでとないと迷った結果、定価より高いお金で買うとか、サイズがなくなるとか、手に入らないとか、山ほどの失敗を重ねてきた。
買って失敗するのが怖いのだと思う。
買い物は恋に似ている。いや、どんな事象も恋に例えられると思うけど、こうやって欲しいものを思い浮かべている時間は、言うなれば「恋に恋している」時間だ。

なんて無駄なんだろう!

でもやってしまう。
お金は無限ではないから、と一生迷ってしまう。ずっと迷っているとそのうち「欲しい」という気持ちが摩耗して、どうでもよくなる。恋に疲れてしまうのだ。

ときめきにも賞味期限がある。
結果買わなかったものが山ほどある。別の人生では買っていたかもしれないものたち。


これは結構前にまとめていた画像。
例えばこんな感じに欲しいものを挙げてみても、買ったものは二つ?しかない。びっくりする。

でも、あまりにもときめきを寝かせすぎて、最近は心が腐敗してるような気もする。妬み嫉みがひどいのだ。
ときめく買い物は心をきらきらさせる。
もう少し、自分が欲しいものは手に入れてもいいかもしれない。残りの人生、早めに買ったほうが減価償却はすぐに終わるんだし。

手帳選び、それは来年の私を決めること

手帳の季節になっていた。いつの間に?
ほぼ日手帳を使っていた頃はこんなに悩むことがなかったので、ラクではあった。
8月からそわそわし、9月1日になるとロフトかオンラインストアで買ってしまえば安心だった。

手帳を買うとき、来年の過ごし方を少しだけ決めている感覚がある。

来年の私はこんな大きい手帳を持ち歩くだろうか。バーチカルなんて使うだろうか。一日一ページも書けるだろうか?
それともどんな色のカバーを使うだろう。ランドセルを選んだ時のようだ。
今の自分のお気に入りが、果たして手帳を使うときの自分のお気に入りなのだろうか?

いろいろな理由があって、それまで使っていたほぼ日手帳をやめてしまった。
やめたあとが大変で、なにせ10年ほど使っていた手帳だったので「しっくりくる」手帳探しは難航した。
無印良品の文庫本サイズの手帳は使いやすかったし、1日1ページと規定されていない手帳に日記を書いたこともあった。
しかしどれも次年度も使おうという気にはなれなかった。

今年ふとSUNNY手帳というものを使ってみた。
楽天ROOMで知った手帳で、「1年を晴れにする」というコピーに少しだけ惹かれた。
ウィークリーとマンスリーで迷った結果、1年の途中から使い出したこともあって、ページ数が少ないマンスリーを選んで買ってみた。

そこまで期待していなかったせいなのか、手帳自体が大きいからか。
なんとなくよい手触りでものごとを書き出せた。
ほぼ日手帳を使っていたときとも、その他の手帳を使っていたときとも、違う感覚で。

最近はバレットジャーナルのメモ帳みたいになっているけど、それはそれ。
来年はSUNNY手帳のウィークリーを買うから、そこで日々の簡単なタスクを書き出して管理するつもり。
ほら、来年の過ごし方をもう決めている。

今年はなんとなく紫色が気になっていたので、来年の私にも薄い紫色を使ってもらうことにした。
そういえば、先日買ったひとりっぷ×レスポートサックのインナーカラーも紫色だ。
もしかしたら紫色が気になっていたのかもしれない。

そのようにして、来年の私がちょっとだけ決まっていく、この時期は素敵だと思う。
先日ロフトの手帳売り場に行ったら、そういう私みたいな人がたくさんいた。
みんなこの時期から来年のことを考えるんだな。
次の手帳にはどんなことが書きつけられるんだろう。

今週のお題はてな手帳出し

ラジオのように書き出してもよい:日頃の行いってなに?/秋服について/縁起もの

なんとなく週報みたいになってるけど、ラジオもそんな気がする。ずっと聞いてる「音声放送」はこの間海で叫んだだけの回(2分ぐらい)とかあった。
三連休に台風が直撃。みたいなものが二週連続で来ると流石に凹む。私も予定が一つ吹っ飛んでしまった。

日頃の行いってなに?

そう。予定が一つ吹っ飛んだのだ。
ずっと香川に行きたいと思っている。恋人がたまに用事で行くので香川土産でうどんを買ってきてくれるのだけど、それが美味しいこと。
そして「ことでん」のことちゃんを見たいということ。
その二つの理由で、三連休に香川に行こうという話をしていた。

今朝見たら台風が直撃するという。立てた予定だと帰りを直撃するらしい。少し悩んだ後、すべてキャンセルすることになった。

こういう時、ふと「己の日頃の行いが悪いから」だと思う。なんでだろう。日頃の行い、そんなに悪かった?
たしかにリモートワークなのをいいことに化粧はしないしなんならトイレですこし休むし、もっと言えないことをしてたかもしれないけど、それでもまあまあまともに働いていたと思う。
ミスを頻発したけど。

苦しい気持ちになる。日頃の行いってこんなにクリティカルに効いてくるものなの?そんなことないだろ、と思い直す。
思い直すために朝ごはんにセブンイレブンのポーク卵おにぎりを買ったのが、今朝だ。

秋服、それは難しい

今朝はそんなこんなでばたばたしていて、本当なら(出勤していれば)そろそろ会社に着きそう、みたいな時間に家を出た。
それはそれとして、いきなり寒くなって、着る物がない。
もっと寒くなればニットとタイツとスカート、はい完成!となるけど、まだたまに暑い、みたいな時期だと何を着たらいいんだろう。
毎年言ってるのでぼちぼちスプレッドシートとかにまとめたらいいような気はするけど、そんな気力はない。厄介なのが、去年着た服はあんまり着たくない、みたいな気分もあることだ。
とか何とか言いながら、去年買ったパンツと去年買ったトップスに去年買った靴で出かけた。気心が知れた服だから、まあ、いいだろうと思う。

縁起もの

とかなんとか言って朝が終わった。
あっという間に定時が過ぎて少し残業をしてから帰って、ピノを食べた。
日頃の行いについて考えていたからか、星形のピノが一つ入っていて笑ってしまった。
きっとツイてるわ。いろんな嫌なことはあったけどさ。
なんかそんなようにして自分を鼓舞しないとやっていけないけど、みんなそうなんじゃないかなー。違うのかな。

ラジオのように

そしてラジオのように書き出してもよい。
さー三連休!と思うけど、予定が一つ吹っ飛んでいる。
楽しい連休になるといいね。

生活はタグ付けできない

インターネットを回遊していると、何から何までブランドというか、すべてタグづけ出来そうな生活の人がいる。
洋服も、頭の先から爪先まで全部タグ付けできて、トレンド全部盛り、みたいな。もしくはコレクション買いみたいな。
もちろんそういう暮らしに憧れがないわけじゃないけど、自分には「過ぎた暮らし」だなあと思ってしまう。

リニューアル前のクウネルがすごく好きだった。
鈴木るみ子とかの文章がすごく好きだったこともあるけど、何より、あのコピーが好きだった。

ストーリーのあるモノと暮らし。

もちろんマガジンハウスなのでちょっとハイソな感じはするのだが(紹介されているレシピがちょっと面倒だったり)、
でも今のマガジンハウスにはない愛らしさがここにあった気がする。
お鍋の焦げを愛するような。知らないおばさん、おばあさん、もよく載っていた。

己の身を振り返ってみる。もちろんタグ付けできるものも持っている。
でも、部屋着は20年ぐらい前にGAPで買ってずっと着ているTシャツだし、在宅勤務の日はだいたい無印良品の下着だ。
靴下なんてスーパーの2階にあるような衣料品店で買ったかもしれない。
お茶碗も、お椀も、フライパンもそう。インテリアも、郊外の雑貨屋で買ったものだ。

インテリアや生活雑貨までブランドもので揃えてタグ付けを可能にすることに、哲学を感じないわけではない。
六本木のLiving Motifなんて行くと私には到底手が出ない(そして違いがわからない)白い皿が売っていたりする。
佇まいが美しいのだ。
そういう生活ができない自分が、SNS疲れではないけど、すごく惨めになることがある。結構ある。

でも、生活はそうあるだけでいい、と私を抱きしめて慰めてくれるのは、クウネルのコピーだった。
私の使ってきた食器には、机には、すべてにストーリーがある。貧乏人の戯言かもしれないけど。

いつかあれを買った、これを使った、という記憶は生活のそこかしこに染み付いている。
いつか下北沢の、もう無い雑貨屋に母とグラスを買いに行った。
いつか近所のスーパーの食器を買った。
そういう記憶が、私を私たらしめているのではないかと思う。

タグ付け、ブランドもの、そういうものの中に自分がいないと思うわけではない。もちろんいる。
私が苦労して手に入れたCELINEのクラシックボックスの中には間違いなく私がいる。
ただ、そういうタグ付けからあぶれてしまった、純然たる暮らしの道具の中に、私はなんだか好ましいものが宿っているように思う。

それは近年もてはやされているように思う「暮らし系」ではない。
実家の母から受け継いだとか、気づいたら使っていたとか、そういう風景だ。
そしてそれはあまりタグ付けされないように思う。

オールタイムベストの映画

007見た帰りだったか、いつだったか思い出せないけど、恋人と「オールタイムベストの映画」という話になった。
私はもうずっと人生の1位は「オーケストラ!」という映画だけど、それ以降が決められない。

オーケストラ! (字幕版)

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  • アレクセイ・グシュコブ
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おおむねハッピーエンドになる話が好きで、多少のご都合主義はどんと来い、というタイプならオーケストラ!はハマると思う。
でもただのご都合主義ではなくて、歴史の暗い影が落ちているのがその辺りの映画との違いかなあと思ったりする。
ただそれを乗り越えての、あの最後の一連のシーンはうっとりする。

大昔2ちゃんねる辺りで見たのだと思うけど、「映画が娯楽である限り俺は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だな」みたいなのを読んで、ウワー確かに!と思ったのも事実だ。
娯楽であるなら、私も…私は何を選ぶだろう。007シリーズでもいいかもしれない。ジェームズ・ボンドは、キザで、女たらしで、カッコよくあってほしい。時代に逆行した感想だけれど。

人生で見た映画の数って私は多分少ない方だ。
そもそも映画館があまり得意ではない(暗い、狭い、自由にトイレに行けない、でスリーアウトだ)。
それでもそこで見た映画は割と心に残っていて、なぜか母とレイトショーで見に行った「最強のふたり」も好きだった。母とは夜中に「ショーシャンクの空に」「レ・ミゼラブル」とかも家で見た。

最強のふたり (字幕版)

最強のふたり (字幕版)

  • フランソワ・クリュゼ
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特に「ショーシャンクの空に」は冒頭部をチラ見してすぐ寝てしまった父に母と二人で「もったいない!」と言ったものだった。「刑務所のリタ・ヘイワース」も読んだもんね。

1位の映画はすぐ浮かぶけどそれ以降は何も浮かばない。あれもよかったこれもよかったと思うけど、その割に思い出せない。
大味なアクション映画ばかり見ているせいかもしれない。

ふと「ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」を、あれは確か友達を誘ってみたかもしれない、と思った。
当時憧れていた人が見た、よかった、と言ってて、私も見たい!と思ってみたのだ。
私はああいうものに縁遠くよくわかっていないままの体験だったけど、人間の体ってあんな自由に動くんだ、ってアホの感想が出たと思う。
そのあとサントラを買ったし、三宅純のライブも行った。

なんでこんな話をふとする気になったのか、映画がどちらかといえば苦手なのに、と思っていたけど気付いた。
学生時代にバイトしていたレンタルビデオ店がつい先日無くなったからだ。

背伸びして借りた映画もあれば、貸出履歴が私しかないような映画もあった。たぶん「ラスト・エンペラー」なんてあの店で私ぐらいしか借りてなかったのではないか。