ネコミミにひかりあれ

エッセイを書いています。

「神様はいると思った。」

2010年は、というか大学生の頃はなかなか大変だった。
自分の精神も相当不安定だったけど、いよいよ祖母のボケが進行して「痴呆症」になったらしい、そして要介護が1だか2だかになったらしい、夜になると意識が不安定になりよくわからないことを言う…。
そういう風な環境の中で、小沢健二の「ひふみよ」のライブがアナウンスされたのはなかなか奇跡だった。YouTubeにアップロードされていた「ある光」を延々流しながら泣くことしかできない大学生だったから。

紆余曲折あり、神奈川公演と東京公演へ行けることになった。
神奈川の方はもう何も覚えていないけど、東京のことは良く覚えている。その日が母の誕生日だったからだ。

長い間祖母の介護をしていた母は疲弊しきっていた。
勿論特別養護老人ホームへの申請はずっとしていたけど、空きがなかった。要介護1でまだらボケというだけの祖母はどんどん後回しにされていった。そのうち要介護が上がったのかもしれない。
あまりその頃の話をしないけど、遠い昔に家族が集まってテレビを眺めたリビングには、こたつを出してももう誰も集まらないようになっていた。祖母と会うのを避けるためだった。

いつか母が私に言ったことがあった。
「ママ(祖母)の声がね、駅にいても聴こえるような気がするの」
これはいよいよだと思ったのだろうが、どういう声をかけたのか思い出せない。

2010年6月10日。
小沢健二「ひふみよ」NHKホールの日。
モスバーガーで芸能人とコラボした「食べるラー油バーガー」が発売された日。
(どうして覚えているのかというと、手帳に書いてあったからだ)

大学で何個か講義に出たあと、多分午後はサボったのだと思う。じゃあ午前中も行ってないのかもしれない。とにかく、18時開場のライブに間に合わせるために夕方ぐらいには渋谷にいた。公園通りを登り切ると、今もあるけど「モスバーガー」があって、そこで腹ごしらえにラー油バーガーを頬張っていた。

そんなときだった。母からメールが入ったのは。私と父への一斉送信だった。
ガラケーの画面に写し出されたのは、おおむねこんな内容だった。
「ママの特養が決まりました。これからは家族を立て直していきましょう」
たぶんモスバーガーの店内で少しは泣いたと思う。
「ある光」の「神様はいると思った。僕のアーバン・ブルーズへの貢献」というよくわからない歌詞が強烈に響いた。

そしてそのあとのことを覚えていない。そのあと小沢健二のライブは見たはずだ。ガラケーに届いたメールは当然残っていないし、そもそも母はそんな口調でメールを書いただろうかと思う。
確かなのは、そのあと私はあまり小沢健二を聴かなくなり、そもそも音楽から遠くなるということだけだ。祖母が特養に入ったあと、入院するまで私は祖母を見に行かなかった。