ネコミミにひかりあれ

エッセイを書いています。

2022年1月に読んだ本

まあまあ雑に本を読んでしまっている。自分が好きなジャンルの人は読書家であることが多く、スマホで何事か喚くよりも生産的な時間を送っているようだ。恋人の家だって、そういえば本が多い気がする。憧れの人になるにはまずその人たちを真似ることから始めるべきだ。ブランドもののバッグはまだピンと来るものがないから保留するとして、とりあえず本をたくさん読もうと思う。

服部みれい「自分をたいせつにする本」

再読。服部みれい周辺に関しては、都会で田舎の暮らしをする、と頑張っていた?頃のほうが好きなのだけど、美濃に移ってからの暮らしも楽しそうなので健やかに生きてほしい。
元旦だし何か新年のことを考えるいい材料になるかな、と思って読んだ。「ワーク」として、こういうことをやってみませんか、みたいなスタンスで紹介してくれてるんだけど、

8. 毎日寝る前に、「ああ!すばらしい一日だった」といってから寝ます。たとえそう思わなくてもいいます。朝起きたら「すばらしい一日がはじまった!」といって起きます。
(p.150)

こういうのは魔法だな、と思う。呪文と何が違うんだろう。しかし自己啓発系の本だとよく出てくるし、コストがかからないので、思ってから眠るのはタダだと思い最近はいい一日だったな〜と納得してから眠るようにしている。
あと、もう似合わなくなってしまったりクールではなくなってしまった、思い出の服たちをどうしようと考えていた時に、こういう文章が目に入るとドギマギする。

さらにできれば、見てわくわくしないものは、いさぎよく処分します。「古い自分」を象徴していると思うものもいさぎよく処分します。
(p.157)

わかったわかった。明日ゴミ袋につめる。

石井好子「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」

ま〜〜〜食いしん坊だこと。その時代の人々にとって、このエッセイで紹介されている横文字の料理の味ってどう感じられたんだろう。今でこそコンビニでパスタもルーロー飯も食べられるけど、当時はそんなことなかったわけだし。
レシピが色々載っているので後で2、3作ろうと思って忘れている。パスタとかもまあ、普通に私が勘で作ったほうが美味しかろうと思う。だが、レタスの食べ方は文中の中のほうが美味しそうだった。
あと解説が堀江敏幸だったので、堀江敏幸の掌の上でごろごろと転がっている気持ちになったけど、私が期待していた「雪あかり日記 せせらぎ日記」のような感じの解説ではなかった。

恩蔵絢子「脳科学者の母が、認知症になる」

もうずっと落涙しながら読んだ本で、通勤電車で読んだために2度も涙目で出社するハメになった。
生まれてこのかた実家で暮らす「私」。核家族の「私」。母と仲がいい「私」。全部頭がいい、上位互換の「私」だ、と思いながら読んでしまう。

母にできないことが増えて、私が傷つくことがあるのは、私が母と自分をうまく切り離さずに、また、母と娘という役割にとらわれて、母という個人が見えていないからなのかもしれない。
(p.140)

引用しててもすこし泣けてきてしまう。何で読んだか忘れたけど、ヤングケアラーと呼ばれる子供たちは介護をすることで未来に希望を持ちづらくなる、みたいな話があった(気がする。妄想かもしれないけど…)。
自分はヤングケアラーではなかったが、衰退していく祖母を眺めていた。母がずっと世話をしていて、ある日施設に入居できたけど、それまでの日々のことが忘れられない。それからずっと、心の中の普段は開けない引き出しに祖母の塞がった未来のことがあって、だから自分の未来についても少しずつ閉塞感がある。
あの時家族はどうすればよかったのか。できればこの本がテレビに広く取り上げられると、私の両親のようにテレビを信頼できる情報源とみなす人々の心にも入っていってくれるんだけど。
記憶はうまく取り出せなくなっていくけど、感情は残っている、だから何かの出来事に遭遇したときの反応そのものがその人なのだ、みたいな、そういう話と理解した。

オーレ・トシュテンセン「あるノルウェーの大工の日記」

仲のいい職人とのたわいもない会話、ノルウェースウェーデンの違い、その他諸々。
あまり書き抜かずに読んだけど、自分の仕事に迷う時に読み返したらいいのかもしれない。実直な他人の仕事に触れるのは、なんだか気持ちがいい。

「利他」とは何か

多分「思いがけず利他」とか読んだほうがよかったのかもしれない。くたくたになって帰ってきたとき、駅の改札の中の小さな本屋で平積みしてあったから買ってみた。自分が普段手に取らない本を読むのがいいんじゃないか、と思って。逸脱するのが大事みたいな。
誰かに何かをやってあげる、みたいな話だと思って読んだら違って、全体的に「なにか巨大な力/歴史」みたいなもののなかで「ふとした力によって」自分がなにか行為すること、みたいな話だった。たぶん。
最後の小説家の方の話も「利他」というか、そういう、ふとした動きの話だったように思う。

安宅和人「イシューからはじめよ」

なんかずっっっと積みっぱなしにしていたので読んだ。もう何年も前に買った本だったはず…。なんとなくコンサル向けの人の本のような気がして、こういう本が必要で毎日読んでいるという人はどういう職業の人なんだろう。
私のような人間でも毎日本当に取り組むべき課題はありそうなものだけど、日々のタスクに忙殺されている。

グレッグ・マキューン「エフォートレス思考」

これ2冊目の本だったんだ。やられた。
割といい話が書いてあるんだけど例に出てくる話がえげつなくて苦しい気持ちになったりした。唐突に瞑想みたいなものが推奨されたりするけど、いい本だった。
ゴールを見据え、適切なステップを定義し、まず軽い気持ちでやってみる。やったときにミスっても失敗が安く済むよう設計しておく。このとき「楽をしていて申し訳ない」みたいな気持ちにはならないこと…。
私には「あいまいなゴール / 明確なイメージ」の図が刺さった。

石牟礼道子「魂の秘境から」

なんの気なしにどなたかが言及していたので買ってみた。文章がうますぎてびっくりした。
そして石牟礼道子についても何も予備知識がないまま読んだので読み進めるうちに水俣病とか闘争という単語が出てきてハッとする。

主治医の先生から、「三度の食事が優先、間食は控えめに」とクギを刺されている身である。(p.185)

こういう文章が出てくると、あれ、すごいお婆さんが書いている、と思う。
文中には平松洋子枝元なほみの名前も出てくるし、食べ物の周りのエッセイも読んでみたいと思う。買うだろう。
水俣病アニミズム的なもの(と言っていいんだろうか)よりも、そういう日常的なこと、熊本地震や自分の病気などについて書かれているもののほうが興味深く読めた。
読んでいるうちになんとなく祖母を思い出すのは良くない読み方だと思ったが…次も読むだろう。たまに自分を逸脱した本を読むと面白くていい。