コピーにも思い出が宿る。
本物/偽物という話のなかで、偽物にも思い出やかけがえのないものが宿る/宿らないというあらすじは、おもに生命倫理 の分野で見るように思う。姓を略した愛称で呼ばれるアクション俳優の代表作の一つに、そういった話がなかったか。おのれのクローンを見たことで生活が一変した主人公が、ラストシーンでおのれの出自に気付く物語。しかし主人公とそれまでの家族にはなにも隔たりはない。
話がかなり大げさになってしまったが、 いわゆる「パクリ」商品はどうだろう。
ポケットモンスター が世間を席巻していた頃、たくさんの「ポケモン フォロワー」と呼ばれるゲームが存在していた。フォロワーの定義は人によって自由だと思うが、個人的には下記のように考える。
バージョンが二つ、ないしは三つ出されていること
主人公が直接戦わず、仲間のモンスターが戦うこと
全てを網羅しているわけではないが、私もコミックボンボン を読んでいた身だ。
ポケモン をやりながら、ポケモン に似たシステムの別のゲームをやっていた。わたしの名をつけられた主人公は同時に無数の世界に存在していて、モンスターを使役したり友達になったりしながら、世界の危機を救っていた。
携帯電獣テレファング パワー/スピード
携帯電獣テレファング2 パワー/スピード
いずれもコミックボンボン で同名の漫画が連載していた。ポケモン がモンスターボール なら、こちらは携帯電話の番号だ。モンスターボール で捕獲する代わりに、携帯電話の番号を聞くのだ。番号交換に応じてくれれば晴れて仲間になれるというものだった。スマートフォン がガラケー と呼ばれる携帯電話だった頃、子供にはまだ過ぎたおもちゃだった。だから、こういうゲームが生まれたのだと思う。
ゲームボーイカラー で発売された1にはガラケー のアンテナを模したおもちゃがついており、友達の電獣から着信があるとピカピカ光るというギミックがあった。ここまで書いていて思い出したが、ゲームボーイアドバンス で発売された2にもアンテナのおもちゃが付いていたような気がする。
もうあまり覚えていないが、ポケモン では出来なかった「十字キー による斜め移動」ができた。
わたしは「スピード」 バージョンを遊んでいたが、まわりに「パワー」をやっている友人はおらず、というかテレファング自体を知っている友人がおらず、図鑑は当然埋まらなかった。
これをポケモン のフォロワーに加えるのは少し抵抗があるけど、複数バージョン出たし、モンスターが戦うのでこちらに入れた。デビチルという名前で土曜日の朝にアニメを放送していたし、コミックボンボン で連載もしていた。モンスターボール で捕獲する代わりにデビルと「交渉」を行うというシステムが幼心に新鮮だった。交渉に失敗すると怒らせたり、逃げられたりする。成功しても仲間になってくれるわけではなく、お金をもらえたりHPを回復してくれることがあった。
とあるサイトで「児童誌のベルセルク 」と呼ばれていたことを思い出す。コミックボンボン でのコミカライズが異様に暗かったのだ。後年「完全版」が出たときは購入した。藤異英明によるダークな世界観、回復しない仲間、バンバン死んでいく登場人物たち。ゲームはそこまでではなく、簡単なポケモン という印象が強い。赤の書~白の書まではおそらく地続きで、そのあとの光の書からは別の世界観だけど、赤の書のほうが好きだった。
だから光の書・闇の書のあとに出た、炎の書・氷の書は記憶が曖昧だ。デビライザーと呼ばれる召喚銃のデザインも、赤の書のほうが好きだったから。主人公の性別も選べなくなってしまったし。
何故かやっていた、もんレー。友達がやっていたので買った覚えがある。
2バージョン発売されていないので、厳密にはポケモン のフォロワーではない気がするが、いや、でも、ここに入れてしまっていいだろう。1をやっていないけど、2が出る程度に人気があったのだろう。そして、その理由がなんとなく分かるような気がする。
今思い出しても平和で面白いゲームだった。モンスターを戦わせないでレースをさせる、どこかほのぼのとした絵面。
私は馬のモンスターの最終進化したものにワープを覚えさせて、かつ特技袋を持たせてワープ二回できるようにしていた(分かる人にしか分からない話題)。こうすることで、苦手な地形をほぼやり過ごすことができたのだ。
テリーのワンダーランド はやっていないんだけど、こっちはやっていた。自分がまともにプレイした、たぶん最初で最後のドラクエ 。ルカとイルという2バージョン発売されていて、女主人公でやりたかったのでイルを買ったのだ。
ポケモン より難しかったので、どこかのダンジョンで詰まってそのままになっている気がする。ソードドラゴンとアンドレアル ?がいた気がする。
ポケモン とデビチルを買い与えられている様子だいたい全部のゲームを思い出せるけど、きちんとエンディングを見たのはデビチルぐらいかもしれない。赤の書は本当にハマりこんでいて、ディープホールも最下層近くまで行った覚えがある。デビチルはアニメ化までされたし、真・女神転生 の名前を冠しているからきちんと作っていたのかもしれないけど。
あの頃放り投げてしまったゲームが山ほどある。
わたしはいつも主人公の名前を自分の名前にしていたから、無数の、行き詰まった主人公の「わたし」がいる。もう思い出せないけど、ポケモン でジムを回って四天王を倒したことも、パートナーのデビルと一緒にマカイを救ったことも、ベリーベストカップ を制したことも、わたしのベースになっているに違いない。わたしは数多の世界を救ったのだ。ポケモン がなければ生まれなかったゲームの世界で。