ネコミミにひかりあれ

エッセイを書いています。

古い窓

昔はこんなに人とつながらないインターネットを見ていた。

ブラウザと名付けた人は偉いと思う。窓の向こうで、様々な人間が色々な言葉を書くのをじっと眺めていた。毎日よく話す友達。あまり話さないけど名前を知ってる子。まったく知らない人。
皆が「リアタイ」「リアル」と呼んでいた縦に長いレイアウトの日記を、私もやっていた。
何を書いていたのかもう忘れたけど、今でいう空中リプライ、空リプのようなことも書いていた気がする。それで、よく話す友達の様子がおかしかったら翌日それについて話してみたり、したのではなかったか。

窓の向こうには様々な人がいたけど、あまりインターネットで、直接的に窓の向こうに触ろうとは思わなかった。
自分も触られなかったから、ある種不可侵条約みたいなものがあったのかもしれない。
ここはこの人の窓。ここは私の窓。
会うときは、窓ではないところ。現実世界か、チャットか、お絵描きBBSか。いずれにせよ、書くところと話すところはまったく別の場所だった。誰からもコメントされない、点数もつかない、つながらないインターネット。

この間、高名な女性学者のtwitterの書き込みを見ていたら、その人に対して気楽に罵詈雑言が送られていてびっくりした。テレビの前で悪口を言うのとは違う。その人がリプライ通知をオンにしていたら、罵詈雑言が送られるたびスマートフォンが震えて教えてくれるんだけど。
とても怖くてそんなことは出来ない。
昔の、古い窓のことを覚えているから。

どこにもつながらないインターネット。つながらない古い窓。
窓の向こうの、顔も知らないお姉さんが使っていた化粧品に憧れて手に取ったことがあるけど、それはそのお姉さんの人生には何も関係がない。私には私の、お姉さんにはお姉さんの、誰にも侵されない窓があるだけだった。

リアタイやリアルをもう一回やりたいとは思わないけど、誰かの心情が静かに綴られた場所は、いまとても懐かしいと思う。

2021年3月に読んだ本

f:id:necomimii:20210401074244j:plain

言い訳だけど、転職活動がかなり佳境で、本を読むどころではなかった。
面接で話す内容をもやもや考えながら、次落ちたらどうしよう?と思いながら、電車の外とスマホの画面をぼんやり眺める毎日。
それでも2月よりは冊数を読んだが、わりと再読が多かった。多分、自分が知っている内容を読むことで、安心感を得たかったのだと思う。

藤森かよこ「馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。

強烈なタイトルに惹かれて読んだけど、自己啓発というよりは「自己啓発に役立つ読書リスト」という感じだった。ので、タイトルほど殴ってくる印象はなく、どちらかというとお節介焼きの藤森女史がこういう知識があるといいよ!って教えてくれる本だった。
なので、殴られたい人が読むと微妙に肩透かしを食らうかもしれない。

人付き合いが苦手という自認がある私にとっては、たとえばp.228の「出会う人はすべてあなたの教師だ。10歳の子どもからも学ぶことができる。」という文章が刺さる。藤森女史の語り口は柔らかいけど、強烈な心配を感じられる。
自分が読もう/勉強しようと思っている分野(金と健康と語学)について、強烈に「読んでおかないとヤバいぞ」と念押しされる本だった。折に触れて読み返したほうがいい気がする。
続編もあるので読みたい。読んだほうがよさそう。

「仕事文脈」セレクション 「女と仕事」

女と仕事 「仕事文脈」セレクション (SERIES3/4 3)

女と仕事 「仕事文脈」セレクション (SERIES3/4 3)

  • 発売日: 2018/02/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
自分の転職が決まったので久しぶりに読んだ。
様々な仕事に就く女性のエッセイ集で、その仕事が様々だから、読むタイミングによって刺さる部分が違う。
以前読んだときには「ふーん」で流した「あまちゃん」の評論も、先日読んだときは「うわ~!あまちゃん見ておけばよかった!」と思ったし、本屋を営む方のエッセイで「続ける」ことに触れているのも刺さった。

ロバロバカフェをオープンした当初から「ロバロバ通信」というフリーペーパーを私の担当で作っていました。それは8年間続けました。
(p.45 お店をしていることが好き)

そして、思うのだ。文章を書くことだけは手放すものか、と。

自分がいまの職場を離れるというタイミングだからか「転職しました、のその先で」と題された文章も刺さった。自分の仕事の意味が、仕事の成果物だけではなく周りの人たちに対してもあるのかどうか、みたいなことは事務員としてずっと考えていく事柄だと思う。

ジョン・キャリールー「BAD BLOOD」

日本語訳が出てたのを知って悲鳴が出た。はやく言ってよ!
医療スタートアップ「セラノス」の不正を暴いたWSJの方の著作。しかしWIREDでは「ジョン・カレイロウ」とされていたのが「キャリールー」という名前になっていた。より発音に近い方なのだろうか。

wired.jp
WIREDの記事で満足できる人は別に読む必要はないと思う。

スマホアプリやソーシャルネットワークなら完全でなくても構わない。なぜなら、それで人が死ぬことはないからだ。でも医療の場合、話が違う」

上記のWIREDの記事からの引用だけど、これで俄然、興味が出た。

本は事実が淡々と述べられていくので特にドラマティックなことはないけど、強いて言えば冒頭でいきなりCFOが解任させられる、というのがドラマティックだろうか。証言をしようとする元社員たちは弁護士に睨まれるし、なんなら本名や住んでいるところまで割られるんだけど、それでも屈しない。告発をしなければ、という使命感。
こういうのもセラノスが「医療」に関するスタートアップだったから、ということだろう。それがこれだけの熱狂と詐欺を生んだのだ、とは本書かどこかのウェブ記事か、両方に書いてあった気がする。

読み進めながら、クローズアップされる元社員たちがろくな目に遭わないのは知っているから、ハラハラしてしまった。そして第19章でついに、地の分に「私は、」という単語が出てくる。キャリールー氏の視点になる。もう結末を私は知っているのに、そこまで全く安心できなかった。
この人はいつ会社に失望するんだろう。いつ打ちのめされるんだろう。夢を実現できる技術がここにないと知ったら…そう思いながら読み進めていた。

小早川明子/平井愼二「悪い習慣をやめる技術」

自分は転職をするときに呼吸法(谷川俊太郎もやっている!みたいなやつ、服部みれいの本で知った)をよくやっていたのだけど、そのように「体の動きと呪文を合わせて、一日のうちに複数回やる」というのは新しい習慣をインストールするのに有効なんだなという気持ちになった。
パソコンもファイルを削除するときも、一度「白紙」をそこに作り出している、という話を聞いたことがあって、習慣を「辞めさせる」というのは自分のなかにフラットなもの、習慣をしていない状態を作り出すことなんだろうなと思う。
おそらく手元に残す本。
p.96あたりからの実践編みたいなところだけでもパーっとさらって読むといいかもしれない。

服部みれい「あたらしい東京日記」

あたらしい東京日記

あたらしい東京日記

  • 作者:服部 みれい
  • 発売日: 2012/06/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
「あたらしい~」シリーズではこれが一作目なんだけど、ちょうどいい塩梅でミーハーとスピリチュアルが混ざっている気がする。やたら代々木八幡のNewportが出てくるので久しぶりに行きたくなった。会社をサボってファラフェルのピタサンドを食べたことがあるんだ。
「都会で田舎の暮らしをする日記」みたいな、都市にいるけどスローペース、みたいな暮らしに憧れる。自分の芯がしっかりあって、おしゃれをするけどきちんと健康的、みたいな。

インナーケアとかなんとか言うけれど。

胃を派手に壊したとき*1、なるほど、食べないと痩せるんだな、と本当に理解した。理解したのだが、なんだかずっと食べている気がする。

長年、どちらかといえば痩せている方、という自認で生きてきたが、そうも言っていられなくなってきた。
薄々勘付いていたけど、私は「食べるのが好き」かつ「料理もまあまあできる」タイプで、エンゲル係数も高いという人種だ。
だから、dancyuなんかを読むようになってしまったし、会社では全員が見られる権限で「ランチに行く店のまとめ」なんて作っている。
そして運動への苦手意識も相俟って、あれ、これは太っていくのでは、という危機感に見舞われている。

「特にお腹が空いていないのに食べてしまう」症状もあるし、せっかく家族が作ってくれるから…と食べてしまう。
そしてそんな自分を責めながら、お腹が空いていないのに食べる…という悪循環だ。
食べたら出せればいいのだけど、何日も出ない日なんて割とある。自分の体なのにままならない。

せめてもの罪滅ぼしで、格好良く言うと「インナーケア」なるものに意識を向けるようになった。
(なんらかの運動のようなものは、一日10分以上はやっているのだが、食べる量が多すぎて体重は減っていないのだった)

ビオフェルミンを飲む

【第3類医薬品】ビオフェルミンVC 120錠

【第3類医薬品】ビオフェルミンVC 120錠

  • 発売日: 2019/10/01
  • メディア: ヘルスケア&ケア用品
とにかく胃腸が貧弱だ。酒を大量に飲んだ翌日なんて確実にお腹が壊れるし、とんかつはヒレ肉でないと食べられない。
そのくせ激辛料理が好きなのでたちが悪い。にんにくも好きだ。
そうすると、お腹が常に張っているのに全く出ない、みたいな不健康に腹が出っ張っている人間が出来上がる。
そんなようなことを母親に相談したところ「ビオフェルミンでも飲めば」という答えが返ってきた。
整腸剤だからまあ悪いもんじゃなかろう、という。
どうせならビタミンも一緒に取ろうかな、とVCが付いているほうを飲み始めた。

青汁を飲む

伊藤園 ごくごく飲める 毎日1杯の青汁 350g×24本

伊藤園 ごくごく飲める 毎日1杯の青汁 350g×24本

  • 発売日: 2020/10/12
  • メディア: 食品&飲料
前に「日用をみつめる」でも書いたけれど、こんなに飲みやすい青汁があっていいのだろうか。
「まずい。もう一杯!」というフレーズが与えた影響は凄まじかったのだ。青汁はまずくて苦いものだと思いこんでいた。
粉末タイプも同じような味なのだとしたら、そちらのほうが安い気がするのでそっちを買ってみたい。

水分をとる

私は膀胱炎にもなりやすい。
前の会社にいたときは、膀胱炎をこじらせて腎盂腎炎にしたことがあった。さすがに今はそこまでにはならないが、なんとなく水分を取るのが下手くそなのだ。
会社は乾燥しているはずなのに、午前で500mlを一本飲みきれないことが多い。
それを意識的に、とにかく視界に入ったら水を飲むようにする。これは努力だ。
そうやって水分をとっていると、ついつい手が伸びていたおやつも「要らない…かも」と思うことが多くなった。
あれは、お腹が空いていたんじゃなくて、喉が乾いていたんだ。
水分が不足すると、鬱っぽい気分にもなるし、頭も痛くなる。最近は頭痛を感じると、とりあえずtwitterを「頭痛」で検索したあと、お茶をがぶ飲みするようにしている。

できれば白湯を飲みながら仕事をしたい

マグカップに白湯を入れて、それを飲みながら仕事がしたい。
白湯をすすっているとき、なんとなく「ていねいだな〜」という気持ちになる。

インナーケアとか言ってみているけど、本当は、自分に手をかけてあげたいのだ。
ご自愛というか、自分の機嫌を取るというか。セルフケア。
それで自分がきれいになって、お腹がすこし引っ込むのなら、もっとうれしい。

*1:機能性ディスペプシアを二年連続で冬の終わり〜春ぐらいにやったことがある

日用をみつめる vol.03

もうすっかり間が空いてしまったけど、また、日用をみつめたい。
「日用品」という語があるように、日用は「毎日使用すること/もの」を指す言葉だ。
日常はわたしが生きている限り終わらない。たまに起こる気分が高揚する買い物や体験は「ハレ」だけど、人生は「ケ」の連続だ。だから、そういうのをみつめたい。

ukaのケンザンを毎日使っている

f:id:necomimii:20210310225020j:plain
uka scalp brush kenzan | uka | トータルビューティーカンパニー uka
パナソニックの頭皮ケアの機械を使っていたこともあったけど、ukaのケンザンを買ってからはこちら一本。
充電切れがなく、シャンプー中も気兼ねなく使えるのがいい。防水と書いてあっても、怖いものは怖い。
その点こちらはシリコンだから、多少雑に扱ったところで壊れない。
上級者は両手に持って、こう、マッサージをするのだそうだ。
先日恋人に貸してあげたところ、自分も欲しいというので店に行ったら、2つ目を買い求めている人がいた。
たぶんあのひとは上級者。

青汁とプロテイン

f:id:necomimii:20210311080636j:plain
プロテイン「レビュー懺悔」のほうでも書いたけれど、とにかくテキーラ村上さんのUltoraを買っておけば間違いがない。まずい粉を1kgも買う間違いを犯したくないので、わたしはもうUltoraしか買っていない。
抹茶ラテを飲むときに限り、粉末の青汁を混ぜて飲んでいる。
f:id:necomimii:20210311080647j:plain
青汁といえば、伊藤園の青汁がおいしいとtwitterで話題になっていた。
半信半疑でペットボトルのものを飲んでみたら、本当に美味しくて、気付いたらほぼ毎日飲んでいる。
これによる健康面の影響はまだないけど、強いて言えば「味があるものを飲んでいるので、おやつへの欲求が薄くなった」だろうか。

リセットは神頼みで

f:id:necomimii:20210311080701j:plain
たまに全部嫌になってリセットしたくなる。
そういう時、昔のわたしなら床をカッターで切り裂くなどしていたが、そういう若さはもうない。
だから、こういう清涼感があるシャンプーなどに頼るようにしている。
アルジタルの「要らないものが取れる」シャンプーは、半信半疑。まさかWi-Fiの電波を取りたいとは思っていない。
頭皮にこれを塗ってukaのケンザンでマッサージをすると、頭がスッと軽くなる…気がする。
おいせさんのシャンプーとコンディショナーは、なんだかご利益がありそうだし、スッキリする匂いがする。
お風呂でなんとなく生まれ変わった気になって、また日々をやり過ごそう、という気持ち。

春は薄い色を付けたくなる

f:id:necomimii:20210311080715j:plain
吉川康雄さんの新しいプロダクトに期待しつつ、一重まぶたの人へ向けた化粧ページをよく眺めている。
www.elle.com
わたしはこのモデルの方と同様、前髪パッツンなので「もしかしたらアイライン要らないのかも…?」と、薄い色のみ付けて出かけることがある。
そういうときに、アンプリチュードのアイシャドウが今の気分。
お店に偶然入荷していた青色と、それに合わせるブルーブラックのマスカラ。
もう少しうまく使えるようになったらいいな。
春の薄い服たちにはこういう、まぶたが透けるような色がよく似合うだろう。

Notionを使ってみている

f:id:necomimii:20210311075940p:plain
ずっとScrapboxで読書記録やその他のメモを付けていたけど、Notionというサービスも便利らしいという話を聞いて、乗り換えてみている。不便だったらScrapboxに戻すつもりだけど、今の所はNotionで足りている気がする。
To Doリストを作る→Google Calendarに振り分ける、という感じで使っている。

たぶん「日用をみつめる」は、今後も隔週とか月1ぐらいで続いていきます。きっと。

2021年2月に読んだ本

2021年1月は割と本を読んだみたいだけど、2月はあまり読めなかった。
necomimii.hatenablog.com
でも4冊読んでいたので自分を誉めたい(1週間に4冊読むのが目標だったのでギリギリだけど)。
f:id:necomimii:20210301063013j:plain

服部みれい「あたらしい結婚日記」

あたらしい結婚日記

あたらしい結婚日記

服部みれいの日記が本当に好きなので、読む本に迷うとこれを選択してしまう。カバーを外して写真を撮っているのは、自分の手元にあるものがボロボロでみすぼらしいからです。そのぐらい雑に読み返しては、その時々のヒントをくれているような本。

「問題」は好機そのものなのである…There are no problems only opportunities.

日記シリーズ、この本から別冊の脚注が付いてくるようになり、本に出てきた単語について服部みれいがコメントしているんだけど、それがまたいい。
何回読んでもこの言葉にはまあまあハッとさせられる。自分の底を自覚するというか、今が底なのだから上がるだけだなと思ったりする。

福ちゃんは「服部みれい」は好きだね。でも、本名のほうのわたしはどうかな
(p.174 10月29日)

今回の再読で気に入ったのはここだ。
現在のパートナーの方と出会ったときの心の動きが(「結婚日記」だし、)かなり詳しく記録されているんだけど、浮かれながらも冷静なのが分かっていい。
本名のほうのわたし、というのになんだかぐっときて、読書メモに書き抜いていた。

増田薫「いつか中華屋でチャーハンを」

あ、電子版はオールカラーなんだ…。
いつか中華屋でチャーハンをの記事一覧 - イーアイデムの地元メディア「ジモコロ」
もともとウェブメディアで連載されていたものが一冊にまとまっていて、わたしは気に入った本は紙でもっておきたいタイプなので購入した。
これ確か凝った画材で描いているわけではないと増田薫が話していた気がするな…それに感銘を受けました。
私もたまにカラーのイラストと文章を描いたりするけど、漫画をフルカラーで描くのは大変だし、アナログだとスキャンとかもあるから「ウワ〜〜〜」となりがちなんだけど、このクオリティがいつも維持されていたのが本当にすごい。
私も野方ホープ行ってみたくなったよ。

ヤニス・バルファキス「父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話」

2月の読書量が増えなかった主な原因だと思われます。経済の話がとにかく苦手なのでこういうものから始めよう!と思ったんだけど、このレベルでも自分には「ウッ…」となることが多かった。
ただいいフレーズが多くて(翻訳の関美和という方がすごいんだろうか、原文のニュアンスが格好いいんだろうか、どっちもだろうけど)、

経済についての決定は、世の中の些細なことから重大なことまで、すべてに影響する。経済を学者にまかせるのは、中世の人が自分の命運を神学者や教会や異端審問官にまかせていたのと同じだ。つまり、最悪のやり方なのだ。(p.235)

こういう言葉とかにまた触れたいので、また読み返したい本になった。
ヤニス・バルファキスという方は調べると結構破天荒な感じで有名らしく、わたしはそのあたりも当然知らなかったので、いや〜〜〜無知…と恥ずかしくなりました。

福田康隆「ザ・モデル」

働いている業界で聖書のように扱われている本なんだけど、そういえば読んだことなかったな…と反省して読んだ。
目からウロコがボロッボロ落ちた。というか、自分が日々聞き流している「インサイドセールス」みたいな単語も、なんとなく発している「マーケティング」という単語も、こういう本を読んでから見てみるとだいぶ解像度が上がって自分に近くなる印象を受けた。
自分が無知すぎるのが原因なんだけど、なるほどこれはSaaSと呼ばれるところに関わるのであれば必携の書なんだろうな…と思いました。これも上の経済の本と同じく、折に触れて読み返したい感じ。

f:id:necomimii:20210301064854j:plain
私の率直な感想はこれですが…

とりあえず本をなんとなく毎月読み続ける、みたいなところは維持したいところ。
今月はとりあえず2月末から読み始めていたこれを読み終えたい。

ポケモンフォロワーと呼ばれる世界をいくつか冒険した話。

コピーにも思い出が宿る。
本物/偽物という話のなかで、偽物にも思い出やかけがえのないものが宿る/宿らないというあらすじは、おもに生命倫理の分野で見るように思う。姓を略した愛称で呼ばれるアクション俳優の代表作の一つに、そういった話がなかったか。おのれのクローンを見たことで生活が一変した主人公が、ラストシーンでおのれの出自に気付く物語。しかし主人公とそれまでの家族にはなにも隔たりはない。

話がかなり大げさになってしまったが、 いわゆる「パクリ」商品はどうだろう。
ポケットモンスターが世間を席巻していた頃、たくさんの「ポケモンフォロワー」と呼ばれるゲームが存在していた。フォロワーの定義は人によって自由だと思うが、個人的には下記のように考える。

  1. バージョンが二つ、ないしは三つ出されていること
  2. 主人公が直接戦わず、仲間のモンスターが戦うこと

全てを網羅しているわけではないが、私もコミックボンボンを読んでいた身だ。
ポケモンをやりながら、ポケモンに似たシステムの別のゲームをやっていた。わたしの名をつけられた主人公は同時に無数の世界に存在していて、モンスターを使役したり友達になったりしながら、世界の危機を救っていた。

  • 携帯電獣テレファング パワー/スピード
  • 携帯電獣テレファング2 パワー/スピード

いずれもコミックボンボンで同名の漫画が連載していた。ポケモンモンスターボールなら、こちらは携帯電話の番号だ。モンスターボールで捕獲する代わりに、携帯電話の番号を聞くのだ。番号交換に応じてくれれば晴れて仲間になれるというものだった。スマートフォンガラケーと呼ばれる携帯電話だった頃、子供にはまだ過ぎたおもちゃだった。だから、こういうゲームが生まれたのだと思う。
ゲームボーイカラーで発売された1にはガラケーのアンテナを模したおもちゃがついており、友達の電獣から着信があるとピカピカ光るというギミックがあった。ここまで書いていて思い出したが、ゲームボーイアドバンスで発売された2にもアンテナのおもちゃが付いていたような気がする。
もうあまり覚えていないが、ポケモンでは出来なかった「十字キーによる斜め移動」ができた。
わたしは「スピード」バージョンを遊んでいたが、まわりに「パワー」をやっている友人はおらず、というかテレファング自体を知っている友人がおらず、図鑑は当然埋まらなかった。

これをポケモンのフォロワーに加えるのは少し抵抗があるけど、複数バージョン出たし、モンスターが戦うのでこちらに入れた。デビチルという名前で土曜日の朝にアニメを放送していたし、コミックボンボンで連載もしていた。モンスターボールで捕獲する代わりにデビルと「交渉」を行うというシステムが幼心に新鮮だった。交渉に失敗すると怒らせたり、逃げられたりする。成功しても仲間になってくれるわけではなく、お金をもらえたりHPを回復してくれることがあった。
とあるサイトで「児童誌のベルセルク」と呼ばれていたことを思い出す。コミックボンボンでのコミカライズが異様に暗かったのだ。後年「完全版」が出たときは購入した。藤異英明によるダークな世界観、回復しない仲間、バンバン死んでいく登場人物たち。ゲームはそこまでではなく、簡単なポケモンという印象が強い。赤の書~白の書まではおそらく地続きで、そのあとの光の書からは別の世界観だけど、赤の書のほうが好きだった。
だから光の書・闇の書のあとに出た、炎の書・氷の書は記憶が曖昧だ。デビライザーと呼ばれる召喚銃のデザインも、赤の書のほうが好きだったから。主人公の性別も選べなくなってしまったし。

  • もんすたあ☆レース2

何故かやっていた、もんレー。友達がやっていたので買った覚えがある。
2バージョン発売されていないので、厳密にはポケモンのフォロワーではない気がするが、いや、でも、ここに入れてしまっていいだろう。1をやっていないけど、2が出る程度に人気があったのだろう。そして、その理由がなんとなく分かるような気がする。
今思い出しても平和で面白いゲームだった。モンスターを戦わせないでレースをさせる、どこかほのぼのとした絵面。
私は馬のモンスターの最終進化したものにワープを覚えさせて、かつ特技袋を持たせてワープ二回できるようにしていた(分かる人にしか分からない話題)。こうすることで、苦手な地形をほぼやり過ごすことができたのだ。

テリーのワンダーランドはやっていないんだけど、こっちはやっていた。自分がまともにプレイした、たぶん最初で最後のドラクエ。ルカとイルという2バージョン発売されていて、女主人公でやりたかったのでイルを買ったのだ。
ポケモンより難しかったので、どこかのダンジョンで詰まってそのままになっている気がする。ソードドラゴンとアンドレアル?がいた気がする。

f:id:necomimii:20210224231144p:plain:w700
ポケモンとデビチルを買い与えられている様子

だいたい全部のゲームを思い出せるけど、きちんとエンディングを見たのはデビチルぐらいかもしれない。赤の書は本当にハマりこんでいて、ディープホールも最下層近くまで行った覚えがある。デビチルはアニメ化までされたし、真・女神転生の名前を冠しているからきちんと作っていたのかもしれないけど。

あの頃放り投げてしまったゲームが山ほどある。
わたしはいつも主人公の名前を自分の名前にしていたから、無数の、行き詰まった主人公の「わたし」がいる。もう思い出せないけど、ポケモンでジムを回って四天王を倒したことも、パートナーのデビルと一緒にマカイを救ったことも、ベリーベストカップを制したことも、わたしのベースになっているに違いない。わたしは数多の世界を救ったのだ。ポケモンがなければ生まれなかったゲームの世界で。

中学受験と苺のガレット

この時期になると思い出すのは、私立の中学校を受験した時のことだ。
そして、何故かその思い出にはデニーズの苺のガレットがくっついている。受験を思い出せばガレットを、ガレットを見ると受験を、という具合に結びついているのだ。

幼馴染が中学受験をするというのに影響されて「私も受験する」と言ったのは、たしか小学4年生の頃だった。良くも悪くもなかった私の頭は、どうにか中流ぐらいの学校に受かりそうだ、というところまで来た。
しかし、何かのきっかけで5年生の頃にいきなり「受験をやめる」と言い出したらしい。浮いたお金で我が家は沖縄旅行へ行ったのだが、6年生になるとまた「受験したい」と言い出して、私は知らなかったが両親は大変だったらしい。
一度やめた受験をどうしてまた、と思い返せば「地元の中学校に行くのが嫌」という理由だった。当時の私は精神的にむずかしい時期であり、クラスメイトとうまくやれなくなっていた。結局、塾はそれまで行っていた中学受験に強いところではなく、地元の小さな個人指導の塾になった。

私のクラスで中学受験をするのは、おおよそ半分ぐらいだったという。
そして、なぜか「受験は良くないもの」という雰囲気があった。なんとなく友達にも言い出せず、受験するの?と訊かれても曖昧に笑ってすごしていた。もしも受験することが周囲に露見し、かつ落ちてしまったら「受験に落ちたやつ」として扱われるだろう。そんな人間たちと一緒に地元の中学校に行かなければならない。
第一志望の受験日は日曜日だったので、ここで受かってしまえば誰にもバレない。受験のために欠席する子どもがいる中で、何食わぬ顔をして通学するのだ。なんとしても、初日にすべてを決めねばならなかった。

迎えた受験日。車で中学校へ向かう。
4科目を受け終わる頃には疲れ切っており、帰り道に何か食べようという話になった。来るまでの道にたくさん飲食店はあったが、デニーズにしよう、と車を停めた。
注文した料理が運ばれてくるまでの間に、自己採点が始まる。学校から配布された問題に、覚えている限りの答えをメモしていく。答えが曖昧なところは自信がないとしながらも、あまり未来は明るくなさそうだった。

ところで、いつまで経っても頼んだものが出てこない。
苺のガレットとは、そんなに時間がかかる食べ物なのだろうか?大変お待たせしました、と店員が言ったか定かではないが、ガレットは裏が真っ黒に焦げていた。おおかた忘れていたのだろう。食べながら、ぼんやりと「この先どうなってしまうのだろう」と暗澹たる気持ちになっていた、ような気がする。

真っ暗な夜だった。
合否は電報で届くという。そのうちにチャイムが鳴った。
届いた報せを、家族の誰も開けられなかった。虫を素手で握りつぶせる、昭和1桁生まれの祖母でさえ嫌がった。母はもちろん拒否した。
結局、父が皆に背を向けて開封することになった。

一言、父は「受かってる」とつぶやいた。
それから「学費振り込めだとよ」と苦笑いした。

f:id:necomimii:20210211221944j:plain
苺のガレットの写真がなかったのでどこかの修学旅行で買った木刀を貼っておく