ネコミミにひかりあれ

エッセイを書いています。

中学受験と苺のガレット

この時期になると思い出すのは、私立の中学校を受験した時のことだ。
そして、何故かその思い出にはデニーズの苺のガレットがくっついている。受験を思い出せばガレットを、ガレットを見ると受験を、という具合に結びついているのだ。

幼馴染が中学受験をするというのに影響されて「私も受験する」と言ったのは、たしか小学4年生の頃だった。良くも悪くもなかった私の頭は、どうにか中流ぐらいの学校に受かりそうだ、というところまで来た。
しかし、何かのきっかけで5年生の頃にいきなり「受験をやめる」と言い出したらしい。浮いたお金で我が家は沖縄旅行へ行ったのだが、6年生になるとまた「受験したい」と言い出して、私は知らなかったが両親は大変だったらしい。
一度やめた受験をどうしてまた、と思い返せば「地元の中学校に行くのが嫌」という理由だった。当時の私は精神的にむずかしい時期であり、クラスメイトとうまくやれなくなっていた。結局、塾はそれまで行っていた中学受験に強いところではなく、地元の小さな個人指導の塾になった。

私のクラスで中学受験をするのは、おおよそ半分ぐらいだったという。
そして、なぜか「受験は良くないもの」という雰囲気があった。なんとなく友達にも言い出せず、受験するの?と訊かれても曖昧に笑ってすごしていた。もしも受験することが周囲に露見し、かつ落ちてしまったら「受験に落ちたやつ」として扱われるだろう。そんな人間たちと一緒に地元の中学校に行かなければならない。
第一志望の受験日は日曜日だったので、ここで受かってしまえば誰にもバレない。受験のために欠席する子どもがいる中で、何食わぬ顔をして通学するのだ。なんとしても、初日にすべてを決めねばならなかった。

迎えた受験日。車で中学校へ向かう。
4科目を受け終わる頃には疲れ切っており、帰り道に何か食べようという話になった。来るまでの道にたくさん飲食店はあったが、デニーズにしよう、と車を停めた。
注文した料理が運ばれてくるまでの間に、自己採点が始まる。学校から配布された問題に、覚えている限りの答えをメモしていく。答えが曖昧なところは自信がないとしながらも、あまり未来は明るくなさそうだった。

ところで、いつまで経っても頼んだものが出てこない。
苺のガレットとは、そんなに時間がかかる食べ物なのだろうか?大変お待たせしました、と店員が言ったか定かではないが、ガレットは裏が真っ黒に焦げていた。おおかた忘れていたのだろう。食べながら、ぼんやりと「この先どうなってしまうのだろう」と暗澹たる気持ちになっていた、ような気がする。

真っ暗な夜だった。
合否は電報で届くという。そのうちにチャイムが鳴った。
届いた報せを、家族の誰も開けられなかった。虫を素手で握りつぶせる、昭和1桁生まれの祖母でさえ嫌がった。母はもちろん拒否した。
結局、父が皆に背を向けて開封することになった。

一言、父は「受かってる」とつぶやいた。
それから「学費振り込めだとよ」と苦笑いした。

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苺のガレットの写真がなかったのでどこかの修学旅行で買った木刀を貼っておく