ネコミミにひかりあれ

エッセイを書いています。

好きなものを最大公約数に置き換えて

職場に新しく入ってくる人々の自己紹介を読むのが好きだ。すごく秘匿されているかすごくオープンかのどちらかで、たとえば好きな音楽という項目に特定のバンドの名前があったりアイドルの名前があったりする。
そういうのを読んで、私はそのようにして直接「好き」を表明するのが苦手というか、そのようにできないなあと我が身を振り返ってみる。

好きなものを言って、みんなに曖昧に笑われる。とか、知らないって苦笑いされる。みたいな経験がどこから増えたのかあまり覚えていないけど、小学生の頃にコミックボンボンなんかを読んでいるとそんなようなことは多かった。当然コロコロコミックも読んでいたのでことなきを得ていたけど、結局デビチルのベールがいいよねなんて話はあんまりできなかった気がする。
高校生になるともっとそれが加速して、YMOとか坂本龍一とかを好むようになるので周りと話が合わなくなる。ただ当時は「自分の好きなものを追いかけていれば幸せ」みたいな熱量が高い時期だったのでそんなに気にならなかった。
インターネットには同じような人がいて、同じような人たちでカラオケに行った時にアズテック・カメラの「Dream Sweet Dreams」だとか教授の「安里屋ユンタ」だとかで盛り上がったことを今も覚えているので、強烈な経験だったんだと思う。

www.youtube.com

書いていて思い出したけど、そういう例外を除いて学生の頃からカラオケは苦手で、それは「私はみんなの好きな曲を知らないしみんなも私の好きな曲を知らないけど、みんなは好きな曲を知ってて盛り上がる」からだった。友達と行ってもその居心地の悪さは確かに残っていて、だからあまり行かなくなった。

自己紹介をするとき、自分の好きなものを並べてみる。私を知って欲しい、なら自分が真に好きなものを並べればいいんだけど、そうではなくて「とっかかりになって欲しい」なら、ある程度向こうも知っててこちらも好きなものを出さないといけない、と思う。思っている。
それは私に対して曖昧に「知らない」と微笑んだ人たちが、私の次に自己紹介をした人に対して「私もそれ好き!」「えーっ嬉しいです!」みたいな会話をするのを眺めたことがあるから。何度も。
その瞬間から私は「変わり者」になってしまう。そして人と話すときのチャンネルを絞ってしまう。共通項がそれしかないんだから仕方ないだろと思いながら。

で、インターネットのなかにいるとそういうことを気にしなくてよく、好きというだけで繋がることができるので、うれしいな、と思う。