ネコミミにひかりあれ

エッセイを書いています。

きみについて

教授の訃報は、twitterで知った。
3月28日に亡くなっていたらしい。あまりにも悲しくて、最初に見たニュースのアカウントがNHKやcommmonsではなかったから「フェイクニュースか?」と思ったぐらい。
社会人は働き続けないといけない。
「教授が死んだら忌引きでも取りますよ」なんて悪い冗談を飛ばしていた私だが、現職は月末月初が繁忙期なので当日に休むなんてことはできない。しかも当日に、いきなりなんて。

知り合いの中で、私だけ教授に会ったことがなかったと思う。
出待ちをする友人たちに混ざっても、私は「教授の時間を奪うのが勿体無い」という阿呆みたいな理由で接触をしなかった。*1
間近で見るのを遠慮していた。
それは教授の知り合いの知り合い、みたいなすごく近い人*2と知り合っても同じだった。
ただ醜いから、twitterの「おすすめ」タブに教授と私が知らない誰かのツーショット写真が上がってくるたび「私も会ってみたかった」と思ってしまっていた。

死者の悼み方がまだわからない。*3

誰かのコネで、無理やり挨拶をするのは違うと思っていた。*4
だから、多少「酸っぱい葡萄」にしてでも、慎重に適切に距離をはかっているつもりだった。
"いつか"教授に、あの日猫耳を送った人間の一人です、何年も前にライブレポートを大賞に選んでいただいてありがとうございました、と言ってみたかった。それらはもう叶わない。

そんなようなことを友達に話したら、「『会わない』という美学を貫いた」と言われて、ふっと憑き物が落ちたような気持ちになった。
私の臆病さと、教授と知り合いだという目の前の人間を踏み台にしたくないという気持ちと、教授への憧れとミーハーな気持ち、すべてが混ざった美学だった。

よく考えてみると、私本人は会えていないけど、私の表現は教授と会っていた。

私がふざけて描いたイラストが元になって、友人と渡してみようと盛り上がった猫耳(新宿の東急ハンズで買った)は、友人からcommmonsの方伝いに教授本人に届いていた。*5
昔使っていたハンドルネームで書いたライブレポートは、いつかのコンテストの大賞に選んでいただけた。*6
文字書き・絵描き、どちらも冥利に尽きる話なのではないか。

訃報からずっと、自分の芯に灯っていたかすかな光がふっと消えたような気がしている。
なんだかぜんぜん、悪い夢みたいで。

でも、ようやく少しずつ「出来事」として考えられるようになってきたから、ブログに書いておこうと思って。*7

*1:確か紀伊國屋書店中沢新一トークイベントをやった時に入り待ちもした。出待ちもした。私は遠巻きに眺めていた気がする

*2:本当に教授と写真撮ってる人とか楽屋入ってるタイプの人が知り合いにいたので…。

*3:自分の人生の熱をささげてきた、今風に言うと「推し」という存在が亡くなるのはこれが初めてだった。たとえばレイハラカミやアベフトシが亡くなった時も悲しかったけど、ここまでではなかったはずなので。ただ志村正彦が亡くなった時のフジファブリックファンだった友人の憔悴を思い出すと自分はそこまでではなかったのかもしれないと思う

*4:もちろん無理やり挨拶をしている人を責めているわけではない

*5:坂本龍一 猫耳」とかで検索して、最初のほうに出てくる黒っぽい猫耳がそれのはず。多分。確か国際フォーラムでのライブで渡して、そのライブ直後のUstreamで付けているのを友人の携帯電話で見た…ような記憶がある

*6:なんとまだ読める。ここの「帽子屋」とは私のことである。 https://www.commmons.com/commmonsmag/rs/rs2_99.html

*7:当然今日のブログのタイトルは教授の曲名から引用している。あのCMは和服着てて好きだったけど、何年か前の年賀状のCMで和服着てて夢って叶うんだな〜と思ったことがありました。何の話なんだろう