ネコミミにひかりあれ

エッセイを書いています。

「やっちもねえ」

祖母は岡山の出で、塩ビかなにかの工場が成功して戦後関東に出てきたと聞いた。祖父も同じように商売人だったが、母に聞くと「パパ(祖父)が働いてるところ見たことない」と言う。なんらかの不労所得?があったようだけど、定かではない。私の記憶に祖父はおらず、いるのは父方の祖父だけで、母方の、私からしたら珍しい字の名前を持つ祖父はだから、名前とさん付けで呼んでいる。おじいちゃん、と呼んでいたのはどちらかといえば年に一度会うか会わないかの父方の祖父だった。

初詣に明治神宮に行ってくると両親と私で話した時、祖母が「明治天皇なんかにお祈りして何になるん。やっちもねえ」と吐き捨てたことがあった。
それは今思えば昭和一桁台の生まれで、焼夷弾から命からがら逃げ切った祖母の、心からの気持ちだったような気がする。亡くなってしまったから分からないけれど、「やっちもねえ」とは、岡山や広島の方の言葉で「くだらない」という意味だそうだ。
私は長く関東圏から出たことがなく、両親もほぼ標準語を喋るため、祖母の口からたまに聞こえた関西の方の言葉は耳に珍しく響くのだ。

未だに明治神宮へはお参りに行く気持ちにならない。行くなら近くの代々木八幡に行ってしまう。混雑しているからというのもあるし代々木八幡が厄除けさんだからという理由はあるものの、一番は、やはり祖母の「やっちもねえ」が耳の奥で響くからなのだった。