ネコミミにひかりあれ

エッセイを書いています。

溶けた氷を啜り飲む

1社目のころ、上司に飲み会の場で呼び止められたことをまあまあ覚えている。
曰く「際どいネタを落ち着いたトーンで話すのはウケやすいけど、やめた方がいい」というようなことだった。
まさに自分の情けない下半身事情を話していたときだったから面食らったことまでは覚えている。

その頃の私は今よりも自分に自信がなかった。
ブスでモテない。普通にしていても誰にも大切にされないし軽んじられる。
でも仲良くなりたい人はいて、手っ取り早いのは体でどうにかすることではないか…。
いびつな承認欲求をそこで満たそうとしていた。実際どうにかしたこともあるけど、そういう縁は長続きしなかった。そしてそういう時は、決まって誰かに話すネタが増えたなと思っていた。

誰かに話すと、自分の酷い行為が薄まる気がしていたのだけど、上司は笑いながら、やめた方がいいよ、面白いし俺は好きだけど、あなたにとって良くはない、と言ったのだった。
そんなようなことを、最近本を読んでいて思い出した。

話を聞いてもらうとなぜ心が楽になるのか。責任を分かち合う気がするからだ、と書いてあった。
わたしはあの頃、確かに自分の惨めな話をネタとして消費していたけど、一方で「酷い行為が薄まる」と、気分が楽になるような気がしていたのは気のせいではなかったのだ。

どうにかして誰かに気に入られたかった。不特定多数の誰かというよりはその人に気に入られたい、と思って、今ならやらないようなこともした。
目を閉じるとよく思い出せる。なんて馬鹿なことをしたんだろうと思う。でもとにかく、誰かの特別になりたかった。
自分に何もなかった。いまもないけど、大学生のころはより切実に何もなかった。

書きながら泣いているような日記がたくさん出てくる。
自傷行為こそしなかったものの、やっていることはほぼ同義のような気もする。自分を苛めて、どこかに追いやることでしか自分の価値を認めてあげられないようだった。
そういう傷を見せびらかす時の高揚感もあった。
上司は、その高揚感も、そもそも傷を作る行為もやめた方がいいよ、とおそらく言ったのだと思う。
それから月日が流れて、私にも色々あってそこまでの渇望感がなくなったのだ。

あの頃はそんな夜が何個もあった。
誰にも言えない経験を、でも言葉にして誰かに言う。
言わないと自分が、自分で自分を受け止めきれない。
相手も多分あまり人に言ってない際どい話をする。
そんな話を肴にして、もう空のグラスで、氷が溶けた水を啜って、どこまでも時間を浪費した。

特別お題「今だから話せること