ネコミミにひかりあれ

エッセイを書いています。

30歳になるまでに何も手に入れられなかった

「30歳までに欲しかったものを買いました!これです!」みたいなものを見るたびに私そういうの全くないし今後もないし30歳までに何も手に入れられなかった人生じゃん、と思っています、その類のものは酸っぱい葡萄すぎる…

みたいなことをTwitterに書こうとしてやめた。溢れんばかりの自意識過剰…。

YouTubeとかを眺めていると私よりもしっかりとしててオシャレでまともそうな編集者の方が「30歳になったお祝いに買いました」と今の私が相当無理をしないと買えないバッグとかをサラッと出している。
30歳になったお祝い!私何かしたっけ。
また別のところでは「30歳になるまでに欲しかったものを買いました」というような文脈で今の私が相当頑張らないと買えないバッグとかがサラッと出てくる。
30歳になるまでに欲しかったもの!

君は歌う 安心を買ったって
俺も欲しい 心から
(くるり「愛なき世界」)

ずっと安心が欲しい。買えるもんなら…。買えないのでこれは置いておいて、30歳になるまでにこれを買おう(そのために頑張ろう)とか、30歳になったからお祝いにこれを買おう(と思えるだけの稼ぎや体力がある)とか、とにかくキラキラして見える。

思えば自分への転職祝いに財布を買うぞ!と思っていたのにそれは後回しにしている。欲しい財布がなかったから、ぼろぼろの財布を使っている。
こういうのが良くない気がする。

そんなことを言っているのだがBGMをDIVA MEとKING DIVAにしているせいでなにも悲壮感がない。
30歳になるまでに〜/30歳のお祝いに〜/転職祝いに〜という三大散財チャンスを失った今、それらの欲望を酸っぱい葡萄にしないためにできること。それは、次のチャンスを作ることだ。
転職1年経ったから〜/厄年だから〜/生きてて素晴らしいので〜/昇格したから〜 あたりを次の散財チャンスとして、そこに定めたい。なにか物的なものを手に入れよう。