ネコミミにひかりあれ

エッセイを書いています。

アドベントカレンダーの日々を過ごす

毎日一個ずつ楽しみがあると、毎日生きる余裕が生まれるのではないか、と思って。それは12月ということもあって、アドベントカレンダーみたいだ。

とりあえず明日は「ドラッグストアに行く」という楽しみを作った。週末は楽しい予定があるから、平日はいろんな「楽しい」を自分に許可して、楽しみたい。
それは「Feel Cycleに行く」とか、「ジャガバードを作って食べる」とか、もしくは「せせと同じお気持ちになる」とかでもいい。

(ここで紹介されていた、"せせ"こと渡辺康啓の朝のルーティーン。温かいミルクティーと、バタートーストと、マーマレードジャム。)

私は怠惰なくせに自罰的な考え方をするから、とにかく「バチが当たった」と思うことが多いし無意味に凹んでは自分の行動を制限することが多い。
こんなことしてはいけない、って思う。

でもいいんだ。アドベントカレンダーみたいに、毎日「楽しい」を一個作って、楽しみにして、それを抱えて生きる。小さなことでもいいから。

なにかが変わってくれると思ってきた

結論から言うと、何も変わらない10年だった。

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大人になって色々変わると思っていた。10年前、わたしはまだ大学生で、地域の最低賃金のアルバイトをしながら、まあまあ楽しく暮らしていた。
当時はまだほぼ日手帳のヘビーユーザーだったから、その頃の日記は今も読める。アルバイトで失敗した話、就活が苦しかった話、楽しい話。いまはもうFacebookでしか繋がっていない(しかもそのアカウントもほぼ死んでいる)知人の名前が、友達として書かれている。

何も変わらないと書いたけど、細々とした変化はある。
大学生だったけど社会人になってしまって、いまは4社目だ。1社目でリモートの訓練とか言って自宅勤務の練習をしたことがあったけど、それが日常になるとは思わなかった。

スノーボードも始めてから5シーズンめ(?)だし、最近はFeelCycleのトライアルも行っている。単純に楽しいからだ。

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変化について考えるとき、脳裏にふと坂本龍一目当てで見た「ラストエンペラー」のセリフが浮かぶ。「同じ人間がそう簡単に変われるものか」と溥儀が吐き捨てる。

細部は確かに変わっていくのだけど、私の生活全体を見るとそんなに変わっていない。相変わらずなにかに憧れて、心を砕いては、平和に生きようとしている。

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だから私は何も変わっていない。いつも変わらず、なにかをどこかに書きつけている。次の10年も特に変わらないような気がする。

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

ずっと違う部屋にいる

Twitterで見たんだったと思うけど、投票率の高さをインターネットで叫んでも戦後何番目かに低かったって、先日の衆院選
それについて、「そういう人たちも投票したというエコーチェンバーの中にいる」というコメントを見て、はっ、となった。私は自分はエコーチェンバーの中にはいないと思っていた。そういうのは、陰謀論とか、コロナは風邪論者みたいな、こちらから見ると「悪い」人がはまり込むものだと思っていた。なんとなく。
そうじゃないんだよな。私は、私が作り上げた「投票したほうがよい」という部屋の中にいたんだと思う。もっと言えば「投票しないやつが信じられない」みたいな。

もっと言うと「◯◯に投票するなんて信じられない」みたいな、そういう部屋の中にいた。
部屋の中にいると部屋の外がわからない。

昔からなんとなく気になっていた。知識人とか文化人みたいな人々がインターネットで発言するときに「よくわからないあなた方にわたしが知識を授けてあげますよ」みたいな、上から目線みたいな態度があるなあ、と思うことがあった。別にそんなことはないと思うんだけど。これは私の捉え方なんだけど。
それで推されている候補者が、たとえば私は取りたくない医療方法を推していたりすると、あれえ…と思ったりした。それについて結構もやもやしていたんだけど、今回の「そういうのもエコーチェンバー」という当然のコメントを見て、納得できた。

TwitterでもFacebookでも、色々な人が今回の選挙の結果についてコメントしていた。私の観測範囲の人々は、どちらかと言うと野党寄りの人が多いから、残念そうな人が多かった。かくいう私も「うわ、つまんな…」と思って選挙速報を消して本を読んでいたぐらいだから。でも、その後で「◯◯に投票するなんて終わってる(笑)」みたいな声が、そういう部屋から聞こえてくるようになった。
終わってるんだろうか。その人がちゃんと考えて、少なくとも私と同程度考えたり、感じたりして、貴重な時間で投じた一票なんだけど。
そういう人たち的には、違う部屋の人は違う部屋、だから良いのかもしれない。でも、やっぱりよくない印象を受けた。

できればその人の選択について貶めたりしないのがいい。そういう選択をしたんだ、私はね、こう考えて…あ、そういう考え方するんだ…、へえ、みたいな会話ができたほうがいい。理想論だけど、やっぱり先制パンチで貶めてるのが結構目立った。私がそういう部屋の中にいるからだろうけど。

エコーチェンバーの中にずっといる。

視界に入るものを制限していく

Twitter眺めてると「この人素敵だけどなんかこの人見てるときの自分の心の動きめちゃくちゃ嫌だな…」という人がいる。人じゃなくてもいいんだけど。
そういうのを見ない努力をしている。

変に嫉妬してしまうのが自分の課題で、よくないところだと思う。
直接話しかけたりはしないんだけど、どうもSNSはその人(己も)の人生の編集盤と分かっているのに、理解が追いつかなくて、たまにつらくなる。

なので距離を取るようにしている。
フォローしないとか、わざわざ見に行かないとか。
毎日考えてて頭おかしかった時期があるけど、それはもう考えないことにした。この人と比べて自分は⚪︎⚪︎だ…は、あんまり生産的ではないし、卑屈な態度になってしまう。

過去から見るとまあまあ進歩しているから、ヨシとする。

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ジャガバード初めて作ったらめちゃくちゃ簡単で美味しくて、ええ〜?!こんなおいしくていいの?!と思った。
ありがとうマッスルグリル。

最近のご自愛

相変わらず家に引きこもっている。出社は自由だけどチーム内に「出社しなくていいよね?」という仄かな圧を感じることもあり出社できずにいる。
本当は週に一度ぐらいは出社したいし、他チームの人とも話してみたい気もする。

Twitterでやたら見かけるのでセブンの金のマルゲリータを買ったらこれが非常に美味しかった。ストックがないと不安なので、一枚食べるごとに一枚買ってきている。病気か?
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しかし冷凍庫を開けるとカラーバリエーションのある知らないおっさんと目が合うという事態になった。知らないおっさんじゃないか。知ってるおっさんだ。
セブンの商品開発に協力してくれてありがとう、あなたのおかげで私は大体10分もあればめちゃくちゃ美味しいピザにありつけるようになってしまいました。ありがとう。

運動はfit boxingをやってみたりリングフィットアドベンチャーに挫折してみたりしたけど、いま現在は竹脇まりなさんの動画を2本ほどこなす、というところで着地している。

【見た目を変えるダイエット】私の体が変わった本気の37分決定版!!〜ストレッチ・HIIT・クールダウン〜 - YouTube

体動かすだけでこんなに褒めてくれるのか?なんで?という気持ちになる。もちろんゲームも褒めてくれるんだけど、ゲームをセッティングするのが面倒なのでiPadを開いてYouTubeを見る感覚で始められるので自分は動画のほうが合っているのだと思う。
体を動かすとなんとなく「自分にいいこと」をやった感じがあり、精神衛生にはいい。その後クイックルワイパーをかけたりすると更に自己肯定感が上がる。

引き続き自分にやさしく他人にもやさしい感じでいたい。でも「自分の機嫌は自分で取る」を自分に課すのはいいけどそれが大声でみんなから言われるのはちょっと違うよな〜と思ったりする。難しい。正直に言うと過去に推しという存在がいて、それを信仰に近い形で愛しく思っていた頃だってそれがいるから努力しようという気持ちにはならなかった。
単純に推しは推しで、私は私だった。だから、今も推しという存在が失われていても「まあ私は私で自分がいいと思えるように頑張ろう、頑張れない日は仕方ない、それが続いても仕方ない、いつか底に手がついて浮上するだろう」と思っている。あまりにも仕事に向いていない思考のような気もするが。

ということでフランクリンプランナーを買った。

引き続き自分にやさしくありたいけど、タスク管理とか、なりたい自分を「いずれなる自分」にしたくなったのだった。手帳な〜悩みに悩んで何個も買う癖があるんだけど、まあ、それは仕方ない。こういうのは自分にやさしいというより甘いんだろう。すでにあるほぼ日プランナーはどうしよう。

「やっちもねえ」

祖母は岡山の出で、塩ビかなにかの工場が成功して戦後関東に出てきたと聞いた。祖父も同じように商売人だったが、母に聞くと「パパ(祖父)が働いてるところ見たことない」と言う。なんらかの不労所得?があったようだけど、定かではない。私の記憶に祖父はおらず、いるのは父方の祖父だけで、母方の、私からしたら珍しい字の名前を持つ祖父はだから、名前とさん付けで呼んでいる。おじいちゃん、と呼んでいたのはどちらかといえば年に一度会うか会わないかの父方の祖父だった。

初詣に明治神宮に行ってくると両親と私で話した時、祖母が「明治天皇なんかにお祈りして何になるん。やっちもねえ」と吐き捨てたことがあった。
それは今思えば昭和一桁台の生まれで、焼夷弾から命からがら逃げ切った祖母の、心からの気持ちだったような気がする。亡くなってしまったから分からないけれど、「やっちもねえ」とは、岡山や広島の方の言葉で「くだらない」という意味だそうだ。
私は長く関東圏から出たことがなく、両親もほぼ標準語を喋るため、祖母の口からたまに聞こえた関西の方の言葉は耳に珍しく響くのだ。

未だに明治神宮へはお参りに行く気持ちにならない。行くなら近くの代々木八幡に行ってしまう。混雑しているからというのもあるし代々木八幡が厄除けさんだからという理由はあるものの、一番は、やはり祖母の「やっちもねえ」が耳の奥で響くからなのだった。

近所のおばさん達がどんどん小さくなってゆく

パラサイトシングルとして四半世紀以上生きてきた。三十路を越えたところだ。最近は子供部屋おばさんと言うらしい。パラサイトシングルと会社の人に言ったらポカンとされたので、古い言葉なのかもしれない。
幼い頃から我が家には近所のおばさん達が集まってきていた。私はそこで一種アイドルのような時代を過ごしたことがある。だから大体の近所の人とは顔見知りだし、会えば「◯◯ちゃん」と呼んでくれる。それらも祖母が亡くなってからは無くなった。祖母の友人たちだったから、皆もういい歳だし、祖母より先に亡くなったり、施設に入った人もいた。

代わり映えのしない道を歩いていると、なんとなく見たことがある背格好の人が向こうから歩いてくる。
こんなに白髪だっけ?でも、あのひとかもしれない。

隣に住んでいるおばさんだった。おばさんという歳ではなくて、もうおばあさんだろうか。最後に立ち話をしたのは何年か前の暑い頃だった。お葬式に行くんだけど喪服が小さくなっちゃって、ぶかぶかなのよ、とおばさんは笑っていた。

ひさしぶりに会ったおばさんはおばあさんになっていたし、あっけらかんとした、明るい喋り方はいつものままだったけど、耳も遠くなっているようだったし、なにより縮んでいた。

身勝手だけどかなり寂しかった。私が三十路になったのだから向こうだって何歳なのだろう。70ちょいだろうか。もっとか?
このまま子供部屋おばさんとしてずっとずっと過ごしていると、近所のおばさん達をどんどん見送ることになるだろう。小さくなってゆくおばさん達。もう長いこと会っていなくても、なぜか背格好でそれと分かるおばさん達。

私の祖母は少し前に、祖父は結構前に亡くなったので一足先に近所のおばさん達を待っていると思う。なんとなく思い出すのは、祖母がまだ元気だった頃の台所だ。おばさん達が何人も集まって、お茶を飲みながらお茶菓子と煎餅を持ち寄って、なんだかんだと話していた。幼かった私はそこに混ざるのが好きだった。
またみんなでオススメの医者情報とか話してるんじゃないでしょうか。