ネコミミにひかりあれ

エッセイを書いています。

ずっと違う部屋にいる

Twitterで見たんだったと思うけど、投票率の高さをインターネットで叫んでも戦後何番目かに低かったって、先日の衆院選
それについて、「そういう人たちも投票したというエコーチェンバーの中にいる」というコメントを見て、はっ、となった。私は自分はエコーチェンバーの中にはいないと思っていた。そういうのは、陰謀論とか、コロナは風邪論者みたいな、こちらから見ると「悪い」人がはまり込むものだと思っていた。なんとなく。
そうじゃないんだよな。私は、私が作り上げた「投票したほうがよい」という部屋の中にいたんだと思う。もっと言えば「投票しないやつが信じられない」みたいな。

もっと言うと「◯◯に投票するなんて信じられない」みたいな、そういう部屋の中にいた。
部屋の中にいると部屋の外がわからない。

昔からなんとなく気になっていた。知識人とか文化人みたいな人々がインターネットで発言するときに「よくわからないあなた方にわたしが知識を授けてあげますよ」みたいな、上から目線みたいな態度があるなあ、と思うことがあった。別にそんなことはないと思うんだけど。これは私の捉え方なんだけど。
それで推されている候補者が、たとえば私は取りたくない医療方法を推していたりすると、あれえ…と思ったりした。それについて結構もやもやしていたんだけど、今回の「そういうのもエコーチェンバー」という当然のコメントを見て、納得できた。

TwitterでもFacebookでも、色々な人が今回の選挙の結果についてコメントしていた。私の観測範囲の人々は、どちらかと言うと野党寄りの人が多いから、残念そうな人が多かった。かくいう私も「うわ、つまんな…」と思って選挙速報を消して本を読んでいたぐらいだから。でも、その後で「◯◯に投票するなんて終わってる(笑)」みたいな声が、そういう部屋から聞こえてくるようになった。
終わってるんだろうか。その人がちゃんと考えて、少なくとも私と同程度考えたり、感じたりして、貴重な時間で投じた一票なんだけど。
そういう人たち的には、違う部屋の人は違う部屋、だから良いのかもしれない。でも、やっぱりよくない印象を受けた。

できればその人の選択について貶めたりしないのがいい。そういう選択をしたんだ、私はね、こう考えて…あ、そういう考え方するんだ…、へえ、みたいな会話ができたほうがいい。理想論だけど、やっぱり先制パンチで貶めてるのが結構目立った。私がそういう部屋の中にいるからだろうけど。

エコーチェンバーの中にずっといる。