ネコミミにひかりあれ

エッセイを書いています。

あんまり頑張ったことがない

「りっすん」は好きなメディアなのでよく読んでいるんだけど、そこで出てくる人々は皆一様に「すごく頑張ったけど、今は力を抜いています」という感じだ。すごいキャリアをお持ちの方とかが今はその路線からドロップアウトしたけど、自分らしく肩の力を抜いてやっています、みたいな。私はそういう話を読むのが好きだから読んでいるけど、つらい気持ちにもなる。
私はそんなに頑張ってないな、と思うからだ。

体を壊すまで働いたことがないし、心なんて壊れたことがない。
大体そういうメディアに出てくる人々は、多かれ少なかれブラック企業に所属していたか、すごい働き方をされていて、心と体にガタがきている。
私は、そこまで頑張ったことがないし、頑張れたことがない。

皆がヘトヘトになって働いているのを、自分は後ろから眺めている、ということが多い。
1社目も、2社目も、3社目も、ヘトヘトになった人々だけが味わえる疲労と達成感は、私になかった。
4社目の今もあやしい。相当、あやしい。そこに至るように努力したいとは思うのだけど。

皆「潰れる前に逃げろ」と言う。私は潰れたことがない。
頑張ったことがない人生だな、と思う。
体も心も潰したことがない私は、もう仕事についてコメントできないな。

2社目のときに、本当に苦手な人がいて、自分の適性もなかったとは思うけど苦しい時があった。
心療内科にもかかったし、わけもなく泣いてしまうことがあったけど、翻って自分はあまりにも働いていなかった。不注意でミスをするしコミュニケーションもできていなかったな、と思う。

頑張った人に向けられた、もう頑張らなくていいという言葉を受け取る資格がないので、そういうメディアを見ると目を伏せてしまうようになった。
私頑張ってないので、そういう言葉を向けられてはいけないんだよな、もっと頑張らねば…ちゃんと…と思っている。

働いているけど、本当にこれ私の労働の対価なんだろうか。世の中にはもっと働いている人がいるわけで…と思う。
1社目の上長は優しかったので、自分がそういう不安を吐露したとき「自分がそう思っていても、その労働について僕たちはこういう評価をしている、ってことなんだよ」みたいなことを言ってくれた。
今の会社の上長も優しいので、1on1で「何か不満なことはない?」とか「最近割と残ってるけど大丈夫?」と言ってくれる。その度、力になれなくて申し訳ないと思う。

力になるべく頑張ってはいるのだが、いるはずなのだが。頑張りが足りないのだと思う。
優しい語をかけられる資格はないよなあ。はい。