ネコミミにひかりあれ

エッセイを書いています。

誰かの一日をずっと生きている

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昔から、誰かの日常を読むのが好きだった。
インターネットが発達して「リアタイ」とか「リアル」と呼ばれる一言日記が級友たちの間で流行りだしたぐらいから、私は知っている人・知らない人を問わず、とにかく人の日記を読むのが好きだということに気がついた。そして有益そうな情報があれば迷わず自分のアナログな手帳に書き残した。

たとえば、炭酸水をボトルで買って持ち歩くこと(そのブログの管理人は、サンペレグリノでもペリエでもない、なにか聞いたことのない名前の水を愛飲していた)。たとえば、アルビオンのスキンコンディショナーがとてもいいということ。
私の昔の手帳にはそういう断片的な「誰か」の情報が散らばっている。

私は、あなたがどういう人か知りたい。

あなたという「誰か」にずっとなりたかった。
あなたがどういうものを好み、なにを使い、なにを食べ、なにを着、なにを読み、いつ眠るのか。どんなところに行くのか。どんな音楽が好きなのか。いつ涙を流すのか。好きなお風呂の入浴剤。スタバのカスタマイズ。スマートフォンのケース。指名買いする化粧品。愛しているのは誰?
それらすべてを遠いところから見ていたい。

同じことがインターネットだけではなく、出版物にも当てはまる。
私は、誰かの日記を読むのが好きだ。

このコロナ禍において、その日々を書き留めておこうと思った人はたくさんいたようで、似たような本が二冊ほど出版されている。「仕事本」と「コロナ禍日記」という本以外にもきっとあると思うけど、私が確認したのはその二冊だ。そして私は前者を読んだ。
概ね緊急事態宣言が出た4月7日ごろからの、沢山の人の日記が載っている。2020年は、なにか色々なものが変わってしまった年だったのだと改めて思う。

私もスーパーで他人が後ろに並ぶの嫌だったよ、とか、いざ仕事をしようと思っても落ち着かない、とか、共感する心の動きが止まらない。ページを捲る手が急かされる。日記の中の見ず知らずの人々に共感し、心配し、勇気づけられる。
SNSが発達して浸透した結果、皆が日記を書かずともリアルタイムで共有される世界が来てしまった。私はそういうのも好きだ。だって「誰か」の生活や日常が垣間見えて、自分がそれを真似するのが好きなのだから。
でも書き留められた日記のほうが、より生々しくその人となりがにじみ出てくる(と思われる)のは、なんでだろう。

恋するものはいつも恋の対象を真似る。とは、菊地成孔のエッセイで知った概念だったと思う。東京タワーとエッフェル塔の話で出てきたはずだ。だから、私はいつも恋をしている。熱を持ってあなたの日記を読んでいる。
インターネットでも過去の偉大なエッセイストや文筆家たちでも、私ではない誰かになりたくて。

この記事は文芸 Advent Calendar 2020の12日目の記事として書かれました。
昨日はなのさんでした。
明日は川村和徳さんです。