ネコミミ新世界

日記その他もろもろ

「証明してくれ」

とにかく頑張りたくない。いや、頑張りたいんだけど、日中やっている仕事についてはやる気がもう50回ぐらい根本から折れているので「出社しただけでも偉い」という意識になっている。仕事に関してはできているのかできてないのかよく分かっていない。今はもう居ない人(退職した人)について結構駄目な語で貶めている、というのを聞いたのでもうなんだか、全て駄目な感じだ。私もきっと現在進行系で貶められているんだろう。

拙い英語でこういうことをやっている、みたいなことをback officeと言ったら、administrative assistantと言うんだよと教えてもらった。初対面の講師と会う時は「I have two jobs, administrative assistant and writer.」みたいにめちゃくちゃ文法駄目な感じで話すんだけど、そうやってごくごく簡単に簡素に事実のみを伝えるとき、日本語より拙いからより本当に近い感じがする。
その単語を知らなかった時、administrative assistantというのを知らなかった時、私は単にI’m writer.とだけ名乗っていて、それも嘘じゃないけど本当のことでもないのでウーンと思っていた。だからtwo jobsという表現を教えてもらった時に「あ、よかった。嘘つかなくて済む」と思ったのだった。変なの。嘘じゃないのに。
先日の先生は私と住んでいる駅が同じで、反対側に住んでいるというのでその話で盛り上がってしまった。今はもうないお店のことや、ここにお化けが出るとか、そういう話。気づけばレッスンの10分前とかで、一応テキストがあるのでそれを進める必要があるんだけど、早足で進めたのも面白かった。うん、面白かったんです。

そろそろ就活のときに使っていたスーツを捨ててもいいと思っている。あんなスーツ、もう着ないと思うから。しかしひどいイベントだな、と思うよ。就活。無駄遣いもいいところで、結局私は夏のクソ暑い中品川駅に行った企業以外には面接に進めなかったし、卒業前に滑り込んだ企業(アルバイトだった)以降、今のところで2つ目だけどオフィスカジュアルとは無縁のところで働いている。スーツ、無駄だった。丸井で私がスーツ買う時に接客してきた店員が言ってきたことまだ覚えてて根に持ってるんだけど「今まで楽な服装だったと思うんですが、スーツはちょっと苦しいですから、それがスーツなんです」みたいなこと言ってて、あの時ばかりは本当に苦情出してやろうと思ったんだけど、面倒でやめた。出せばよかったかもしれない。そうだわ。スーツ捨てていいわ、そろそろ。さよなら。
見る度に「新卒カード」を使えなかった自分が思い出されて忌々しい気持ちになる。

「神様、居るなら居ると証明してくれ」って映画の中で見たんだけど、たまに祈ってしまう。

そろそろ夏のプレイリストを聴く

supercellの「君の知らない物語」とかフジファブリックの「若者のすべて」とか聴く時期だよ。

恋人や友人に心配かけてて申し訳ないのだけど概ねわたしは元気で、というか元気だという弁明をして回るのもなんだかなあと思いつつ、ああいうことを書くほうが悪いとも思う。
もう少し明るくてハッピーな毎日なら良いんだけど、そうではないので、難しい。でもわたしは地続きで、良い日も悪い日もどうにか乗りこなして生きている。
どうにかして抱え込んだ願い事が叶えば良い。叶わないならそれはタイミングが悪いってことにする。

で、ふと「認知の歪み」でググったら大体合ってた。や、みんな多かれ少なかれ歪むでしょ?と思うけど。
そういえば前職のときも何かの働きに対して褒められた時に「それはわたし一人の力ではない」「偶然である」「買いかぶっている」みたいなことを言った覚えがあるけどこれじゃん。
歪みすぎでは。
でも「わたし頑張ったなー」と思ってみたところで現職では「ちがうよ。全然ちがうよ」とばかりに否定されることが多々あるので、ぐにゃりとなる。
なにかを頑張ったね、って物差しがないのがいけないのか?いや、そもそも毎日出勤してるだけで頑張ってるわくそったれ。
最近は「頑張ってない/頑張りきれてない自分」に過剰にフォーカスしててそりゃしんどいよねという感じだったのでもう少しどうにかして自分を褒めてやらないと周囲に呪いを撒き散らして詰む気がする。

最近ファンデーション重くね?重いな?という話を唐突にします。重いよ。
ポルジョの下地とファンデはとても良いのだけど、いかんせん気分に合わなくなってきた。や、悪いとは言ってない。ばっちりファンデーション塗らないといけない局面もあるし。
最近読んだ本の影響で、いまはハイライトと日焼け止めとプレストパウダー。なんて肌を作ってみたい。すーぐ影響されてしまう。
まあ、ミーハーなので仕方ない。ポルジョの限定がまだ残ってたら買うだろうし、THREEのハイライト買ってるかもしれない。

参ったな参ったな。

いい加減化粧水切らしてるのもよくない気がしてきた。
生きてきた中で友人にオススメしまくってものを買わせた、というのが何度かあるんだけど(小学生の頃は同級生にニンテンドー64を買わせたことがある)、アルビオンの基礎ものは3人ほどに買わせた。割といいスコアなのではないか。
まあアルビオン本当に良いので仕方ない。で、そんなオススメしまくる側の人間が化粧水面倒でルルルンのシートマスクべたっと貼って乳液も美容液もつけずに終わり、というのは如何なものかと思う。や、いいんだけど。
ということで週末は基礎ものを買いたい。イプサのメタボライザーが楽そうで良さそうなんだよねえ。まあ何事もなかったかのようにアルビオンの乳液とスキコン買ってそうでもある。

ついでに服の話もしますがシャルルアナスタスが2017AWで最後というのをインスタなんとかでみましたが本当なんですか?
シャルルアナスタス、ほんとにサイズ展開アレだし(腰回りが半端なくでかい)、スカートも阿呆みたいに重かったりしてなんやこいつ…となることもあったけど全体としてみれば普通にキュートなので金さえあれば欲しい、みたいなところだった。そう、高いので。
でも最後だとしたらさみしいな。ワンピースとか可愛かったし買ってもいいかもしれない。

mameの2017AWもね、どうしようかな。きっと一着ぐらいは買うんじゃないかね。
鈴蘭のシーズンが一番好きだからあれ以上のは見られないよなと思うけど、相変わらずああいう形のワンピースは好きだし、便利だし、今後も買ってくと思う。
世のおしゃれなお姉さん達はAKIRA NAKAとかAKANE UTSUNOMIYAとか着てるイメージ、わたしには無縁で切ない。可愛いと思うと大体丈が合わない。carvenだけがわたしに気を遣ってくれているよね…carvenはデザイナーがころころ変わってるけど大丈夫なんですか?デザイナー?クリエイティブディレクター?どうでもいいけど、、

要は「グッドガール」というんですか、そういう良い子な服が似合うらしいということに最近ようやく気付いたのでそういう服を買ってゆきたい。母はモードなんですけどね。どうしてこうなったの。

長電話みたいになっちゃった。
精神がすこし上向きになってきたけど、どうせへし折られるんだろうな。やだなあ。

沈没する

なんかずっともやもやしている。
誰かに大きな声で泣きわめきたい。苦しいししんどいって伝えたい。今朝も昨日の何とも言えない寂しさなどを思い出してピザトーストを作りながら落涙した。自分が何を食べたいのか分からなかったので、とりあえず自分の「美味しい」ものを作った。作ったのだけど炭水化物を食べると太るよねえ、と漠然と思っているために罪悪感がひどい。運動しろよという話なのでこの辺りはどうでもいい。踏み台昇降を10分程度やった。
誰かの成功の話がしんどい。今日ほぼ日で読んだ話で劣等感をどうのこうのというのがあったけど、分かる。自分でもおかしい感情だというのは分かる。エラーですねはいはい、私羨ましいのね、という自覚はきちんと持っている。普段は劣等感を煽るものを見ないようにしたり、ストレートに「それを持っていない自分」を認めてあげるのだけど、今回は地団駄を踏んでいる。なぜ。疲れているからだと思う。
「高く飛ぶためには低くしゃがむことが必要」とのことで、この低空飛行している精神は高く飛ぶための準備だと良いのだけど、よくわからない。自分のご機嫌を取るために欲しいコスメを脳内で並べてみるけど、今はそのどれもが自分には不適だと感じてしまう。そうだね、今一番欲しいのは靴だもんね。靴はどうだろう。セリーヌのトリオバッグを買った時のような思い切りは今の私には無さそう。ぜんぜん元気が出ない。

誰かが辛抱強く私を慰めてくれる、ということもないので、どこかのタイミングで「いじけている自分」に満足するまでこの低空飛行が続く。自分でどうしようもできないんだから、どうしようもない。誰かが頑張っている私を見ていてくれればいいのに、それで一言褒めてくれればいいのに、というのはずっと抱えている。売野機子の「薔薇だって書けるよ」という短編集の中の未来人みたいな人がいればいいのにね。いや、私は毎日毎日勤勉に努力してるんだろうか?それすら危うい。私努力してなかったのではないだろうか。過去の成功を並べてみる。今成功している、成功し続けている人の輝きで目が潰れそうになる(実際潰れている)。すごいね、やったね、とお祝いしながら自分の心を滅多刺しにしている。「お前はこの人に比べて何もできないんだよ!」という劣等感。うん、私とはフィールドが違うから。と避けようとすればわざわざ同じフィールドの人を持ってくる。劣等感よ、私はもう十分傷ついた。もういいです。人の成功をお祝いするのは嬉しいけど、もっと自分が祝われたいよ。
誰に慰められたいのか誰に褒められたいのか。うーん。

これを書いている最中にも落涙しそうになるんだから手に負えないんだけど。劣等感どうやって飼いならすんだろう。

剥離

SNSの偉い人と実際の偉い人でキャラクターが違うのは当たり前なんだけど疲れているとその事実がうまく認識出来なくてしんどくなる。
SNSの使い方の違い、距離の取り方の違いなんだけど私の周囲でそんなにもキャラクターが違う人は居なかったから余計に疲れる。そんなに剥離してて本人も疲れないのだろうかと思うけどまあどうでもいいのだろう。
私はあんまり裏表がないというかSNSでキャラクターを使い分けないので、その違いも疲れる原因なのかもしれない。

雨の日なのでテンションが落ちているのは当たり前、週末に向けて様々の準備。相変わらず酒を飲まないチャレンジは成功していて、土曜日に行った美味しいイタリアンでも飲まなかった。

そうそう、私はほんとうにインターネットとオフラインがあんまり分かれていないと思うんだけど、皆んな分かれているんだろうか。

散財のゆくえ

特に動機も何もなく英語を習っていると、たまに初対面の講師に「英語を習ってどうなりたいの?」と問われることがある。こちらは稚拙な英語で「特に何もないです」と答えるわけにもいかず、なんとなくスペインのバルセロナへ行ってみたいなと思うことがあったので「旅行に行きたいです」と答える。それが私の動機の一つになる。その講師はいいねスペイン、なんで?とこちらに問うてくる。ソナー見に行きたいんです、と答えれば「ソナー、いいよね、私も行ったことあるけどいいよね」と返す。ソナー。日本版のソナーを目指していたフェスがあった。De La FANTASIA。2017年にもなってその語に固執してしまう。初年度、恵比寿のLiquidroomで行われたときはよかった。二年目は確か新木場のstudio coastだったけど、それよりは全然Liquidroomのほうがよかった。日本版のsonarはなくなってしまったから、やっぱり本場のsonarを見てみたいなと思う。
仕事を説明するときに「バックオフィスとライターちょびっと」と説明するのが稚拙な英語ではむずかしくて、週末にライター仕事をしていることになっている。そうやって自分を規定するときに英語だともっと根源的なものになる。稚拙だから単語そのものを口にするしか無く、もっと勉強しなくてはと思うのだけど。私はどうなりたいんだろう。

ということでどうなりたいのか分からないけどスノーガールに憧れたままなので立て替えてもらって色々揃っていく。スノーボード屋さんの人たちは基本的に優しい、体育会系とかギャルが根暗の私に優しかったのを思い出す。あの頃一番苦手だったけど明確にこざっぱりとした好意を向けてくれたのもこういう体育会系とかギャルと分類されそうな人たちだったではないか。逆に自分と同一項に括られそうな人たちには避けられたりね。そういうものです。
体力つくりを頑張ろうと思って、なんとなく踏み台昇降プランクをやろうと思っている。踏み台が一番気楽でいい気がする。

そのように不甲斐ないまま進んでいく。
先日「今の状態がベストですよ」と言ってもらえたのは二足のわらじを指して、だけど、だから、モアベターを目指したいねという話を同僚とした。そうそう、今揺らいでる、ゆらぎを自覚しているからもっとベストを目指してもいいよねという文脈で。「西の魔女が死んだ」を引用するまでもなく、ホッキョクグマじゃないけど、住みやすいところを目指しても特に罰せられないでしょう。

夏が暑いことを忘れがち

毎日毎日誰に許可を取ってこんなに暑いのか、とTwitterで去年あたり見かけたことを口走りそうになる。でもこれからもっと暑くなるんでしょう。日当たりのいい自室は真夏の間クーラーがあまり効かなくなる。

小学生の頃履いていたスカートを久しぶりに履いた。正確に言えば「小学校の卒業式に履いた」ものなので殆ど中学生だけど、まだ履けるので履いている。流石に小物として付いていたベルトのようなものは使えなくなってしまったので捨てたけど、それでもまだ履けるし、なにより可愛いので取っておいてよかった、と毎夏思っている。
バーバリーがいなくなって大変だという話を聞くけど、あの頃キッズのバーバリーって三陽商会だったのかな。分からない。でも伊勢丹で買ったことだけ覚えている。いつもはラルフローレンとかを好む母が、なぜかバーバリーを買い与えたのだった。後で聞いたら安室奈美恵が着てて可愛かったから、とのこと。

夏の間何を着ていたのか全く思い出せない。
思い出せないのでiPhoneのカメラロールをさかのぼる。一昨年なんて殆ど別人だ。iPhoneを途中で変えているから写真データはあまり残っていないのだけど。

英語のレッスンも行き始めて一ヶ月ぐらいが経つらしい。先日醜態を晒した飲み会では、隣に金髪の女性が座っていて、私の眼鏡を見るなり「青いラインがきれい、私も今日青いアイライン引いてるよ」というようなことを話してくれた。だいたい理解できて、且つ話したいな、と思うようになったのはレッスンの成果だと思いたい。
とはいえ醜態を晒した話を英語でするのは面白い。初歩の初歩。casecとか受けてみたい。ひどいスコアだと思う。

最近評判の占い師がinstagramで質問を受けるという。おお、と思って覗いて、早速自分も質問を…と考えてはたと気付いた。問う前に答えが自分の中にあったので。
「私はこういう方向へ進みたい。いまチャンスが(かなり狭いけど)煌めいている。それに挑むべきか、もう少し待つべきか」
誰に問うても「挑むべき」と言われると思う。というか私は(もう少し具体的な語を使って考えてたけど)、何言ってんだこの女と思った。答えが一つしかないものを相談するときは背中を押して欲しいからだ。誰に話しても挑むべきと言われる。私もそう思ってる。背中は存分に押してもらったからあとは私がどうにか挑むだけだと思う。

今日は美容三誌と(おそらく)女子大生向けの雑誌、そこからターゲット変えたJJとかが出るので読もう。ああ、SPURも今日だ。

外圧の話

絵を描くことがアイデンティティにならない自分、それはそれで気楽で腑抜けでいいんだなという気分になった。
高山なおみのエッセイで、機織り作家になりたかった自分がまだ押し入れの中に残っている、という話をしていて、わかる、と思った。私もそういうふうに「人から喜ばれると嬉しい」ということが私を動かして、文章を書くのが好きになったので。
人に喜ばれる。褒められる。いいレポートだったね!って言われる。あなたの文章が好きと言われる。そう言われたら、にこにこして文章を書いてしまう。承認欲求から何かをするの?と言われそうだけど、私はそういう、外からの力によって自分がぐにゃりと変わっていくのを良しとするタイプだ。
外からの力。
恋人が私のことを可愛いという。一重まぶたのことも、ずっとコンプレックスで濃い目の化粧だったけど、薄い化粧のほうがいいという。白いワンピースが似合うよ、と服を見ていると言われる。だいたい、それがいい方向に向かうんだから不思議だ。これも、外からの力で私が変わっていく、一例だ。
そう言われるのが嬉しいからそう変わる。魔法みたいに。呪文だ。

いまこの瞬間もゆるやかに変わっている。

そんなことを一昨日の酩酊を思い出して考えていた。