ネコミミにひかりあれ

エッセイを書いています。

余白が取れない日々の日記をつける

ここ最近、ずっと働いている。体感では6月下旬ぐらいからずっと焦燥感があって、それは「仕事が終わらない」「間に合わない」「どこかでミスをしているのではないか」という暗さだ。
自分が取り返しのつかないことをしでかしているのではないかという不安感。それを、私が受けているカウンセリングの人は「安心するために自分をいじめる癖がある」と看破してみせた。そうだ、私はずっと、自分をいじめて安心してきた。

爪がぼろぼろなのも、すぐにやぶいてしまうのも、(いまは治ったけど)髪をよく抜いていたのも、自分をいじめる行為だ。
私は私のアンチに責めてもらって、不安の暗闇に突き落としてもらうことで、自分が心配していることが実際に起きた/起きない、という安心感を得ている、という。
そんなわけあるか。でも、実際話してみると確かにそうかもしれないと思う。不安の暗闇は、それを考えている間は未知の、どうしようもない不安(たとえば未確定な未来など)から逃れることができるから心地よいのかもしれない。

そのようにして仕事にまつわる不安の暗闇を漂っている中で、手帳やiPhoneのメモ帳に書かれる日々の短い日記もどきは、私を繋ぎ止めている。なにに?自分の、光に向かう意志みたいなものが、私に日記を書かせる。

日記を書いている時間は日々の余白だと思う。
一日という絶対動かせない時間のほとんどを仕事と、それにまつわる不安の暗闇で塗りつぶしてしまう。だから自分の本来の趣味ができない。なにかピーキーな味付けのものを食べて、曖昧に空腹を誤魔化し、英語学習や読書、筋トレはどんどん暗闇に消えてゆく。

暗闇に消えそうな自分の善性とか、毎日を積み上げることとか、「自分が良い/楽しいと信じること」とか、そういう全てを繋ぎ止めるために、誰にも公開していないけど日記をつけている。