ネコミミにひかりあれ

読みもの、エッセイ、そういったものを書いています。

女偏の感情が反射して突き刺さる

友人が「面白い」と言っていたPodcastを購読(購聴?)している。一番最近のエピソードで、「愛される女になるための3カ条、みたいな広告を絶対クリックしない」という話が展開されていた。分かるような、分からないような気がする。
不特定多数の人間に行為を寄せられたい。はっきり言ってモテたい。そういう気持ちが自分の中にまだ2〜3割残っていることに驚いて、失望して、ため息をつく。モテたいというか、なんだろう。その場にいる皆から「あの人いいな」って思われたい。モテたいといえば、モテたいけど、恋じゃない。loveを寄せられたいのではなくて、likeを寄せられたい。

悪役令嬢転生ものみたいな、いわゆる「逆ハー(逆ハーレム)」ものを読んでしまいがちなのは、そういう願望があるからだ。
でも、不特定多数の人から好かれたいと思うのに、そういう人々が好きな対象(マスメディアとか流行りのもの)には背を向けてしまう。心のなかには「私は私のままで皆から好かれたい」という、かなりわがまなな感情がずっと巣食っている。

そうすると、今度は「愛される女になるための3カ条を絶対クリックしない」人間が輝いて見える。
個性が個性として確立されているからこそ、その場の人間たちから好かれるタイプ。
私は残念ながら、そこまで突き抜けられるほど強くも弱くもない。本当に平凡で、悲しいぐらい八方美人だ。服装だってすごく個性や思想があるわけじゃないし、言動もそうだ。

昔「ハチミツとクローバー」で読んだと思うんだけど、「目の前に『こうなりたかった』って人間がいるのはつらい」みたいなセリフがあった。今手元にないから引用できないけど、そういう言葉だった。私も、なりたかったものにひどく嫉妬して、避けようとしてしまう。

本当に昔。学生の頃、小さな食事会があった。
隣に座っていた女の子は、私から見たらすごく個性があって、芯が強い女の子だった。その場の誰もが彼女に一目置いていて、場の主役だったように思う。その子と歳が近かったこともあって、私は勝手に自分と対比してしまい、かなりわびしい気持ちになったのだ。今でもその食事会があった辺りに行くと、ぎゅっと目を瞑りたくなる。

結局「愛される女になる3カ条」みたいなものをバッサリ切ることも、納得して読むこともできない。
なんかぼんやりしてしまう。女偏がついた漢字の感情って、なんだか嫌だ。嫌って字もそう。妬み、嫉みもそう。
そういう気持ちを誰かに対して思うたび、鏡に反射するみたいに、自分に返ってくる。
自分のいやらしさというか、汚さが突き刺さって、ただひたすらつらい。「この身でやっていくしかないのだ」と思うまでに、結構な時間を要するのだ。