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ネコミミ新世界

日記その他もろもろ

中学受験と志望校の話

yomimono

なぜかよく分からないけど、中学受験をした。
地元の中学校は荒れていて嫌だったのだと思う。
小学校の隣が中学校で、通学路が変わらないというのも嫌だったのかもしれない。
または、一番仲の良い友達が中学受験をするというので、
それに親が影響されたのか。
とにかく、中学受験をすることになった。

四課目(国語、算数、理科、社会)を使って受験することになり、
苦手な算数と理科に大半の時間を割いた。
泣きながら勉強することもあったけど、人生の中で一番勉強したのはあの時期だと思う。
塾の講師には「国語だけなら桜蔭も狙えますよ」と言われたこともあった。
それに「(ネコミミ)さんのレベルでこの志望校は勿体無い。早稲田とか、他の付属も狙えますよ」
というようなことを言われたりもした。

それでも、何故か私は志望校を変えなかった。
多分人生について考えるのが面倒だったのだ。当時小学五年生。
そのまま、志望校の過去問をひたすら解いていた。

2月最初の入試のことを、未だ鮮明に覚えている。
国語の問題文では「ミスタードリラー」開発者のエッセイだったか、読み物が出題された。
「棒倒しにヒントを得たんですよ」というような部分がやけに記憶に残っている。
その他の問題は「五木寛之の年齢」が出たと思う。これは社会科だったか。
帰り道に寄ったファミリーレストランで、先に回答をもらっていた母と自己採点をし、
母が泣き崩れたのもなんとなく覚えている。
受かるか落ちるか、多分五分五分だったと思う。

その夜、合格を知らせる電報が届き、
祖母も母も怖くて開封できない中、まるで爆弾処理班のように父がそれを開き、
更に「合格おめでとう」と言ったのを母から聞かされた。
私はなんで覚えていないのだろう。ゲームでもしていたんだろうか。

さて、今日はセンバツの出場校発表の日だった。
中学から6年通った母校は、去年の成績からして選ばれるか微妙な立ち位置にいた。
でも、選ばれていた。6年ぶりだって!

あの時、塾の先生のアドバイスを聞いて、
もう少し努力をして、桜蔭に入っていたらどうなっただろう。
いや、早稲田に入っていたらどうなっていただろう?
きっと、私の母校は憎き敵役となり、赤坂ーー東東京に帰れ、なんてぶつぶつ言いながら甲子園を見ているかもしれない。

母校を選んだ理由は全く覚えていない。家から近い、大学までエスカレーター式である、
その二点をおそらく母は重要視していたはずである。
それがまさか、父の趣味と楽しみを生むとは思ってもみなかっただろう。
父は、あのハンカチ王子に負けた西東京大会の決勝も、
吉永健太朗を有して優勝した年の西東京大会の決勝も、
ずっと見ている。

2月になると、自分の人生の方角がある程度決定された瞬間を思い出すのだった。
そのようにして、思いがけない方向へ転がってゆく。