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ネコミミ新世界

日記その他もろもろ

記憶と記録

nikki

祖母は岡山の出身であった。
塩ビの加工業で身を立てて、いわゆる「成金」というやつだろうが、
それで祖父とともに東京の方まで出てきたのであった。

この時期になると思い出すのは、
小学生の頃の課題だ。
戦争の記憶を身近なひとに聞いてきましょう、とかなんとか、
そういう課題。

私の祖母は「宿題の答えになるかねえ」などと言いながら、
話してくれた。

空襲がひどかったこと。
焼夷弾(しょういだん、という言葉が当時はわからなかった)から身を守るために、
布をかぶって家の目の前の川まで走って逃げたこと。
少し年の離れた妹の手を引っ張って必死に逃げたこと。
川に飛び込んで焼夷弾をやり過ごしたこと。
とてもじゃないが、その妹以外のこと(母親や他のきょうだいなど)のことなんて考えられなかったこと。

などなど。

ひとの言葉を聞き、話し方をできるだけ真似て書き抜くこと、
それは私が最近になって趣味としてやっていたことだけど、
この辺りになんとなくルーツがあったのかもしれない。
事実、私のこれは語りが生々しいとか、祖母の戦争体験が鮮やかとか、
そういうことで表彰というかクラスのなかで褒められたような気がする。
祖母は喜んでいたように思う。
昭和3年生まれの祖母。

祖父は私が物心つく前に亡くなってしまったのでそういった話は聴けていないが、
母に聞いたことがある。

「自分(祖父)も戦地に行って、しかも足を銃弾が貫通したくせに、
 それを誇らしげに語るというか、まあ、好きだったわね」

そういうようなことだった。
祖父は戦後、よく分からない「テキ屋のおっさん」みたいなことで身を立てていたらしい。
祖母は祖母で経理のようなことをして生きてきたらしい。

「なんで川に潜るの?」
「焼夷弾は炎だから、川に入ってしまえば焼けないから」

そういうような会話を祖母と交わしたような気がする。

もうおぼろげになってしまったけど、私の祖母は確かに妹の手を握って川へ飛び込み避難したのだった。
そういうことを先ほどのテレビ番組でなんとなく思い出した。